劉義符
publish: 2021-08-08, update: 2026-04-19
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406年-424年。劉宋の第2代皇帝。少帝。劉裕の第1子。父劉裕の死後即位した。傅亮、徐羨之、謝晦の輔弼を受けたが、言行に節度がなく信望を失った。音楽に精通し遊戯に明け暮れた。張太后の勅令を得た徐羨之らに廃位され、まもなく殺害された。在位2年。
関連
蕭巋
542年-585年。字は仁遠。後梁の第2代皇帝。明帝。蕭詧の第3子。宗主国が西魏、北周、隋と変遷する中で一貫して友好な外交を維持した。北周が北斉を滅ぼした際は自ら長安へ行き祝賀した。安定した治政により熟成した南朝文化が後世に継承された。在位23年。
劉師知
?-567年。劉景彦の子。梁の諸王府の参軍を歴任した。学問を好んで博学であり、陳建国時の儀礼、制度を定めた。陳蒨が重篤になると到仲挙らと共に病床に近侍して決裁を代行した。陳伯宗が即位すると、陳頊の排斥を行ったが、かえって陳頊に捕縛され処刑された。
蔡倫
50年?-121年?。字は敬仲。荊州桂陽郡耒陽県の人。明帝の治世に宦官として登用され、学問や工作を得意とし誠実な振る舞いが評価されて昇進した。製紙法を改良して、紙の実用化に大きく貢献した。安帝の祖母・宋貴人の呪詛の罪を報告したのが蔡倫であったとして賜死を受けた。