劉義符 ( りゅうぎふ )

publish: 2021-08-08, update: 2026-04-19

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406年-424年。劉宋の第2代皇帝。少帝。劉裕の第1子。父劉裕の死後即位した。傅亮、徐羨之、謝晦の輔弼を受けたが、言行に節度がなく信望を失った。音楽に精通し遊戯に明け暮れた。張太后の勅令を得た徐羨之らに廃位され、まもなく殺害された。在位2年。

関連

張豺

?-349年。西晋末期、中原が乱れると割拠して王浚の傘下に入った。王浚の死後は石勒に帰順し、将軍職に任じられた。石虎の後継に石世を推し、石勒の死後、石世を即位せしめた。劉皇太后と共に政治を牛耳るが、石遵が挙兵すると孤立した。石遵に高位を与えて出迎えたが、捕らえられ処刑された。

孫程

?-132年。字は稚卿。涿郡北新城県の人。安帝の治世に宦官として中黄門となった。劉祜、劉懿が相次いで没すると、廃太子されていた劉保の復権に動き、閻顕が諸王子を召喚したのを機に、王康らと共に江京、劉安、陳達を斬って政変を成した。浮陽侯となり養子への相続が認められた。病没。

苻堅

338年-385年。字は永固。前秦の第3代皇帝。宣昭帝。苻雄の子。苻生を廃して皇帝に即位した。内政を充実させ、外征では前燕、仇池、前涼、代を立て続けに滅ぼし華北を統一した。淝水の戦いで東晋に大敗すると各地で造反が起こり禅譲を迫る姚萇に殺害された。

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