斛律金 ( こくりつきん )

publish: 2021-11-05, update: 2026-04-19

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488年-567年。字は阿六敦。朔州勅勒部の人。斛律大那瓌の子。塵を見て敵の数を知り、地を嗅いで敵の距離を測ったという。破六韓抜陵に従ったが降伏して爾朱栄に帰順した。その後、高歓に従い東魏、北斉の変遷の中で自身のみならず一族を繁栄させた。咸陽郡王、左丞相。

関連

慕容鍾

生没年不詳。 字は道明。 慕容運の孫。 慕容制の子。 始め西燕に属して慕容永に従ったが、後に妻子を捨てて後燕に離反した。 慕容徳を補佐した南燕創業の功臣で、司徒、都督中外諸軍事、録尚書事など重職を務めた。 慕容超が即位すると失脚し、慕容法、段宏らと反乱したが失敗、後秦へ亡命した。

元子攸

507年-531年。北魏の第9代皇帝。孝荘帝。元勰の第3子、拓跋宏の甥。孝明帝元詡が胡太后に毒殺され皇統が乱れると、これを正さんと挙兵した爾朱栄に擁立され皇帝に即位した。後に権力を掌握する爾朱栄を殺害するが、爾朱兆、爾朱世隆らの反抗を受けて殺害された。在位3年。

顔之推

531年-591年。字は介。顔協の子。学識と文才に長じて蕭繹に仕えた。侯景の乱とその後の混乱により、梁、西魏、北斉、北周、隋と5つの王朝を生き延びた。子孫に対する家訓として『顔氏家訓』を著した。顔真卿は来孫にあたる。

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