禿髪利鹿孤
publish: 2021-11-12, update: 2026-04-19
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?-402年。南涼の第2代王。武王。禿髪思復鞬の子。禿髪烏孤の弟。兄の死後王位を継承する。後秦が西秦を滅ぼすと乞伏乾帰の亡命を受け入れた。後秦に対して臣従しつつ後涼と抗争を続けた。病により死去。
関連
張駿
307年-346年。字は公庭。前涼の第4代君主。文公。張寔の子。張茂の跡を継ぐ。このとき前涼は東晋と前趙の両国に臣従していたが、前趙が後趙に対して劣勢になると前趙から受けた官爵を廃した。涼州・河州・沙州を定め前涼の最盛期を現出した。病により死去。在位22年。
慧遠
334年-416年。姓は賈。雁門郡楼煩県の人。釈道安を師として出家した。前秦との戦乱を尋陽郡柴桑県に避け、廬山に入って以後30年間、山を下りなかった。白蓮社なる念仏結社を創り浄土教の祖となった。仏法は王法に従属しないと説き、桓玄と意見を対立させた。
賈充
217年-282年。字は公閭。賈逵の子。賈南風の父。曹爽の失脚後、司馬氏に取り立てられた。曹髦殺害を指揮して罪に問われなかったように、司馬氏の腹心として絶大な信任を得た。派閥を好み、人事評価は好悪が先んじた。西晋建国の功臣として筆頭に挙がる。病没。