紀瞻
publish: 2021-04-25, update: 2026-04-19
253年-324年。字は思遠。紀陟の子。顧栄や周玘らと共に陳敏の反乱を鎮圧した。江南に駐屯した司馬睿に仕え、王導と共に司馬睿の皇帝即位を推進した。司馬紹から社稷の臣と評され、爵位は臨湘県侯、官職は散騎常侍、驃騎将軍まで昇る。病没。五儁の一人。
- 五儁とは、紀瞻、閔鴻、顧栄、薛兼、賀循の5人。東晋初期に活躍した江南豪族で、五儁と評された。
関連
慕容恪
?-367年。字は元恭。慕容皝の第4子。後趙、宇文部、高句麗を相手に多くの戦線に従軍した。後趙滅亡を機に中原へ進出し版図を広げた。治政にも優れ前燕の最盛期を築いた。病没。当代随一の宰相、将軍として歴史に残る。武廟六十四将に数えられる。
司馬保
294年-320年。字は景度。司馬模の子。司馬越の甥。洛陽の陥落以後、秦州一帯を領有した。司馬睿と並んで司馬鄴を補佐する立場にあったが、後に司馬鄴を軽んじて、積極的に援護せず長安陥落を傍観した。皇帝を自称したが、前趙に対して劣勢となると、配下の張春に殺害された。病没とも。
慕容沖
359年-386年。西燕の初代皇帝。慕容儁の子。前燕の中山王。慕容恪死後の大司馬を後任した。慕容垂の挙兵に応じて河東にて挙兵するも、竇衝に敗れて慕容泓と合流した。慕容泓を殺害した高蓋らに皇太弟として擁立された。慕容暐が処刑されると皇帝に即位した。帰郷しようとする鮮卑諸族を統制できず左将軍・韓延に殺害された。