賈復 ( かふく )

publish: 2021-08-12, update: 2026-04-19

?-55年。字は君文。南陽郡冠軍県の人。王莽政権では県令を務めた。更始政権における漢中王・劉嘉の校尉となったが、劉嘉の勧めで河北を攻略する劉秀に仕えた。生涯無敗。天下平定後は軍縮に務めた。人となりは剛毅で節義に富むと評される。左将軍、膠東侯。

関連

劉懿

?-125年。少帝。後漢の第7代皇帝。済北王・劉寿の子。劉炟の孫。劉祜の死後、皇太后・閻氏によって擁立されたが、間もなく病没した。後に、孫程によって閻一族が粛清されると、王に降格されて改葬された。正史である范曄の『後漢書』では皇帝として扱われない。

慕輿根

?-360年。鮮卑の人。早くから慕容皝に服属し、将軍として頭角を現した。後趙戦線で活躍し前燕の中原進出に大きく貢献して太師まで昇った。慕容儁の死後は、傲慢で詭弁を弄し反意を抱いたため、慕容恪によって誅殺された。

蔡倫

50年?-121年?。字は敬仲。荊州桂陽郡耒陽県の人。明帝の治世に宦官として登用され、学問や工作を得意とし誠実な振る舞いが評価されて昇進した。製紙法を改良して、紙の実用化に大きく貢献した。安帝の祖母・宋貴人の呪詛の罪を報告したのが蔡倫であったとして賜死を受けた。

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