賈復 ( かふく )

publish: 2021-08-12, update: 2026-04-19

?-55年。字は君文。南陽郡冠軍県の人。王莽政権では県令を務めた。更始政権における漢中王・劉嘉の校尉となったが、劉嘉の勧めで河北を攻略する劉秀に仕えた。生涯無敗。天下平定後は軍縮に務めた。人となりは剛毅で節義に富むと評される。左将軍、膠東侯。

関連

司馬衷

259年-307年。字は正度。西晋の第2代皇帝。恵帝。司馬炎の第2子。兄・司馬軌が夭折したため立太子された。司馬炎の死後、即位するが、皇帝として暗愚と評価される。皇后の賈南風を筆頭とする外戚の台頭や、八王の乱を抑えることができなかった。病没。司馬越による毒殺とも。

劉聡

?-318年。字は玄明。前趙の第3代皇帝。昭武帝。劉淵の四男。劉淵の死後、帝位は長男の劉和が継いだが劉和は兄弟の誅殺を試みた。事前にこれを知った劉聡は劉和を捕え処刑して皇帝として即位した。洛陽・長安を攻略し西晋を滅亡させるも、後年は国を乱した。病により死去。在位9年。

苻訓英

?-407年。慕容熙の皇后。苻謨の娘。慕容垂が後燕を立てたとき、苻氏の一部が取り立てられ父・苻謨が中山尹となった。慕容詳の反乱で父が殺されると、逃れて慕容熙の妻妾となり後に皇后となった。姉の苻娀娥と共に絶世の美女と評され、文字通りの傾国となった。

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