劉聡
publish: 2021-04-25, update: 2026-04-19
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?-318年。字は玄明。前趙の第3代皇帝。昭武帝。劉淵の四男。劉淵の死後、帝位は長男の劉和が継いだが劉和は兄弟の誅殺を試みた。事前にこれを知った劉聡は劉和を捕え処刑して皇帝として即位した。洛陽・長安を攻略し西晋を滅亡させるも、後年は国を乱した。病により死去。在位9年。
関連
劉志
132年-168年。桓帝。後漢の第11代皇帝。蠡吾侯・劉翼の子。梁冀に擁立され、長らく梁冀の傀儡も同然の扱いを受けた。長じて梁冀誅殺を目論み、宦官の単超の助力を得て梁冀を自殺に追い込んだ。一方、宦官への権力集中が進み党錮の禁なる官僚への弾圧が始まり、対宦官の権力闘争が激化した。
祖逖
266年-321年。字は士稚。祖武の子。西晋の各王の属官を歴任したため、八王の乱が進むと各王から召集されたが、いずれにも応じなかった。永嘉の乱で洛陽が陥落すると一族を挙げて徐州へ移住した。司馬睿により徐州刺史に任じられ、河南の地を後趙から奪還した。病没。
高湛
537年-569年。北斉の第4代皇帝。武成帝。高歓の第9子。兄高演が落馬で重体となると、帝位を譲られて即位した。贅沢を尽くして、強引な賦役を課し、和士開などの奸臣に専横を許すなど、朝廷内の腐敗を促進させた。子の高緯に帝位を譲り太上皇帝となった。病没。在位4年。