司馬衷
publish: 2021-04-25, update: 2026-04-19
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259年-307年。字は正度。西晋の第2代皇帝。恵帝。司馬炎の第2子。兄・司馬軌が夭折したため立太子された。司馬炎の死後、即位するが、皇帝として暗愚と評価される。皇后の賈南風を筆頭とする外戚の台頭や、八王の乱を抑えることができなかった。病没。司馬越による毒殺とも。
- 「米が無ければ肉粥を食べればいいじゃない(何不食肉糜)」の迷言が残る。
関連
王濬
206年-285年。字は士治。司隸弘農郡湖県の人。武廟六十四将の一人。羊祜の厚遇を受けて巴郡太守、広漢太守を経て益州刺史を務めた。呉征伐では水軍編制を急進し、長江を降って建業を攻めた。征呉の功を巡って王渾と対立したが、鄧艾の轍を恐れて身を引いた。
劉宏
156年-189年。霊帝。後漢の第12代皇帝。解瀆亭侯・劉萇の子。河間王・劉開の曾孫。劉志に男子が無く、同じ河間王の筋から皇太后・竇妙、竇武、陳蕃らに擁立された。熹平石経を作成するなど学問を奨励する一方で、売官売爵といった短絡的な財政を行い、宦官の専横も止まらなかった。
王渾
223年-297年。字は玄沖。并州太原郡晋陽県の人。王昶の子。京陵侯を継承したが曹爽の失脚で免官となった。懐県県令として復帰以後は累進し豫州刺史、豫州諸軍事となった。呉征伐では一軍を率いて南進し、功は王濬と双璧を成した。晩年は兵権を返上し顕職を歴任しては名声を落とした。