司馬衷
publish: 2021-04-25, update: 2026-04-19
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259年-307年。字は正度。西晋の第2代皇帝。恵帝。司馬炎の第2子。兄・司馬軌が夭折したため立太子された。司馬炎の死後、即位するが、皇帝として暗愚と評価される。皇后の賈南風を筆頭とする外戚の台頭や、八王の乱を抑えることができなかった。病没。司馬越による毒殺とも。
- 「米が無ければ肉粥を食べればいいじゃない(何不食肉糜)」の迷言が残る。
関連
李蕩
?-303年。字は仲平。李特の子。父に従って益州に入り、李特が羅尚と対立すると共に戦った。羅尚の奇襲により李特が戦死した後も、李流の指揮下で抗戦した。羅尚の勢力を覆す善戦をしたが傷がもとで没した。学問に通じ容姿が美しかった。
孫秀
?-301年。字は俊忠。琅邪郡の人。初め潘岳に仕えたが、狡猾、貪淫と評され度々処罰を受けた。司馬倫が琅邪王の頃に仕え、文章を賞されて累進した。多くの謀事に関り、司馬遹の殺害、賈氏の誅殺など数多の凶行を主導した。朝廷を専断して諸王の挙兵を招き、内部から呼応した趙泉に斬られた。
司馬保
294年-320年。字は景度。司馬模の子。司馬越の甥。洛陽の陥落以後、秦州一帯を領有した。司馬睿と並んで司馬鄴を補佐する立場にあったが、後に司馬鄴を軽んじて、積極的に援護せず長安陥落を傍観した。皇帝を自称したが、前趙に対して劣勢となると、配下の張春に殺害された。病没とも。