司馬衷
publish: 2021-04-25, update: 2026-04-19
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259年-307年。字は正度。西晋の第2代皇帝。恵帝。司馬炎の第2子。兄・司馬軌が夭折したため立太子された。司馬炎の死後、即位するが、皇帝として暗愚と評価される。皇后の賈南風を筆頭とする外戚の台頭や、八王の乱を抑えることができなかった。病没。司馬越による毒殺とも。
- 「米が無ければ肉粥を食べればいいじゃない(何不食肉糜)」の迷言が残る。
関連
孫程
?-132年。字は稚卿。涿郡北新城県の人。安帝の治世に宦官として中黄門となった。劉祜、劉懿が相次いで没すると、廃太子されていた劉保の復権に動き、閻顕が諸王子を召喚したのを機に、王康らと共に江京、劉安、陳達を斬って政変を成した。浮陽侯となり養子への相続が認められた。病没。
慕容廆
269年-333年。慕容渉帰の子。慕容吐谷渾の弟。前燕の基盤を築いた。元来西晋に帰属していたが国勢を年々弱める西晋に変わって遼西・遼東の統治体制を確立させた。引き続き東晋に臣従し遼東公に封じられた。病没。鮮卑慕容部の大人としての在位は49年。
祖逖
266年-321年。字は士稚。祖武の子。西晋の各王の属官を歴任したため、八王の乱が進むと各王から召集されたが、いずれにも応じなかった。永嘉の乱で洛陽が陥落すると一族を挙げて徐州へ移住した。司馬睿により徐州刺史に任じられ、河南の地を後趙から奪還した。病没。