賈疋 ( かひつ )

publish: 2021-04-24, update: 2026-04-19

章節

標籤

?-312年。字は彦度。魏の太尉・賈詡の曾孫。安定郡太守となり、司馬越に与して司馬顒と争った。永嘉の乱で洛陽とともに長安が陥落すると、前趙への帰順を示したが、後に長安を包囲して劉曜を敗退させた。司馬鄴を迎えて征西大将軍まで昇るが、彭天護との戦中、山間から転落して死亡した。

関連

高緯

556年-577年。字は仁綱。北斉の第5代皇帝。後主。高湛の第1子。父高湛から帝位を譲られて即位した。和士開、高阿那肱、穆提婆ら奸臣を重用したため、斛律光、高長恭などの重臣、王族たちが讒言によって粛清された。北周の攻撃を受けて逃亡するが捕われ後に殺害された。在位2年。

姚興

366年-416年。字は子略。後秦の第2代皇帝。文桓帝。姚萇の子。前秦の残党を滅ぼし関中一帯を統一した。一時は西秦、南涼、北涼、西涼、後蜀を属国としたが、西秦や夏の独立、北魏の圧迫によって国威は徐々に衰退した。在位22年。熱心な仏教徒であった。

畢義雲

生没年不詳。代々刺史職を務め、施しをもって困窮者を救ったが、元来の性は豪縦であり、羊烈や宋遊道から誹られた。倫理に欠如しており、乱れた性生活、散財、過度な懲罰は朝野の知るところとなり、あるとき突然、怪死した。蘭子暢の捜査によれば犯人はその遺留物から庶子の畢善昭とされる。

page /opt/build/repo/content/dynasties/265_西晋/retsuden/312_賈疋.md