江総 ( こうそう )

publish: 2021-11-03, update: 2026-04-19

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519年-594年。字は総持。江紑の子。西晋から続く名門貴族の出身。尚書令の重職にありながら詩文を作るのみで、狎客と批判を受けた。陳叔宝の政治的暗愚を助長し、奸臣とも評される。優れた詩文は高く評価されるが、亡国の臣という経歴を伴って軽薄だとも評価される。

関連

陳泰

?-260年。字は玄伯。陳羣の子。母は荀彧の娘。豫州潁川郡許昌県の人。魏の侍中、光禄大夫など中央職を歴任する一方で、優れた統率力を発揮して各州諸軍事の都督として蜀呉の侵略を度々鎮めた。司馬昭の信任も厚かったが、甘露の変において司馬昭と賈充を痛烈に批判し間もなく没した。穆侯と諡された。

黄泓

284年?-381年?。字は始長。魏郡斥丘県の人。黄沈の子。永嘉の乱が起こると薊へ避難し、王浚を昏暴と評し慕容廆に仕えた。天文学に通じ、学者として史官や太史令を務めた。その学識から歴代の謀主や参軍などの相談役、軍師職を兼任した。前燕滅亡時まで健在だったが老齢のため前秦には仕えなかった。享年97という。

邳彤

?-30年。字は偉君。信都郡信都県の人。王莽政権では和成郡太守を務め、劉秀が平定に入るとそのまま留任した。王郎の挙兵に靡かず一貫して劉秀を支援した。劉秀が信都郡に入ったとき長安へ帰還する案が多数を占めるなか、王郎を討って河北を平定する利を説いた。太常、霊寿侯。

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