慕容沖
publish: 2021-10-17, update: 2026-04-19
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359年-386年。西燕の初代皇帝。慕容儁の子。前燕の中山王。慕容恪死後の大司馬を後任した。慕容垂の挙兵に応じて河東にて挙兵するも、竇衝に敗れて慕容泓と合流した。慕容泓を殺害した高蓋らに皇太弟として擁立された。慕容暐が処刑されると皇帝に即位した。帰郷しようとする鮮卑諸族を統制できず左将軍・韓延に殺害された。
関連
王浚
252年-314年。字は彭祖。王沈の子。都督幽州諸軍事として幽州の軍事を総括した。辺境の地の利を活かして三王起義ではどちらにも与せず、司馬顒、司馬穎と敵対した。鮮卑と修好する一方で、劉琨と内訌した。西晋が著しく弱体化すると帝位を狙ったが石勒に滅ぼされた。
王聖
生没年不詳。安帝・劉祜の乳母。鄧氏一族が政権を運営するとこれに不満を持ち、鄧綏の兄・鄧悝が平原王・劉翼の擁立を画策していると誣告し、劉翼の都郷侯降格へとつながった。野王君に封じられて江京、樊豊、王伯栄とともに恣肆暴虐と評された。閻氏一族の権力掌握により失脚し雁門郡へ流刑された。
高緯
556年-577年。字は仁綱。北斉の第5代皇帝。後主。高湛の第1子。父高湛から帝位を譲られて即位した。和士開、高阿那肱、穆提婆ら奸臣を重用したため、斛律光、高長恭などの重臣、王族たちが讒言によって粛清された。北周の攻撃を受けて逃亡するが捕われ後に殺害された。在位2年。