慕容沖
publish: 2021-10-17, update: 2026-04-19
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359年-386年。西燕の初代皇帝。慕容儁の子。前燕の中山王。慕容恪死後の大司馬を後任した。慕容垂の挙兵に応じて河東にて挙兵するも、竇衝に敗れて慕容泓と合流した。慕容泓を殺害した高蓋らに皇太弟として擁立された。慕容暐が処刑されると皇帝に即位した。帰郷しようとする鮮卑諸族を統制できず左将軍・韓延に殺害された。
関連
陸倕
470年-526年。字は佐公。呉郡呉県の人。陸慧曉の子。若くして文章を得意とし、蕭子良の西低に加わった。同じく文章を得意とした任昉と懇意であり共に研鑽した。諸王の属官を転々と務めて後に揚州大中正などを務めた。人付き合いを避けて読書に没頭し暗記力に優れた。
顧雍
168年-243年。字は元歎。呉郡呉県の人。父の名は不明。蔡邕に師事した。後漢の合肥県令を初め地方官を務めたのち孫権に仕えた。十九年の長期にわたり丞相を務めた。寡黙、公正で孫権には顧公が酒席にいると人々は楽しめないとまで言わしめた。諡は粛。醴陵侯。次子の顧裕が継いだ。
楊駿
?-291年。字は文長。一族の楊艶、楊芷が司馬炎の皇后となった。外戚として権力を集め、重職を委ねられるようになったが、能力に不足し人望は高まらなかった。専横を憎む賈南風一派の政変によって失脚し、一族もろとも処刑された。暗愚だったが、敵対者を無暗に殺害しなかった。