李農 ( りのう )

publish: 2021-04-26, update: 2026-04-19

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?-350年。後趙の司空。石虎の死後、張豺と敵対し、張挙に助けられて石遵に従った。冉閔に同調して石遵の廃位に関わったため、内外に政敵を作った。冉閔が帝位につくと斉王に封じられたが、最後はその権勢を恐れた冉閔に誅殺された。

関連

陳蒨

522年-566年。字は子華。陳の第2代皇帝。文帝。陳霸先の兄陳道談の第1子。王僧弁の残党を糾合した王琳が蕭荘を擁立して梁の正統を立てると、周迪、留異、陳宝応ら各地の反乱と共にこれを滅ぼした。北周と修好を結び北斉の介入を退けた。内政を安定させ陳の基盤を固めた。在位7年。

祭遵

?-33年。字は弟孫。潁川郡潁陽県の人。更始政権下で県の吏だったが、容姿と態度を劉秀に気に入られ河北攻略に従った。性は温厚でありながら苛烈であった。儒者であり清廉潔白を信条とし、罪を犯した者は劉秀の一族であっても格殺した。怒った劉秀に逮捕されたが、許されて厳正さを称えられた。征虜将軍、潁陽侯。

陽裕

生没年不詳。字は士倫。陽耽の甥。幼少に父を亡くし早くから自立した。幽州刺史和演の主簿となったが、王浚が和演を殺害して実権を握ると疎まれた。その後、段部、後趙と仕官先を変えながらも名声は高まり、後趙の段遼攻撃中に前燕に捕縛され慕容皝に取り立てられた。慕容皝の代に病没。

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