李農 ( りのう )

publish: 2021-04-26, update: 2026-04-19

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?-350年。後趙の司空。石虎の死後、張豺と敵対し、張挙に助けられて石遵に従った。冉閔に同調して石遵の廃位に関わったため、内外に政敵を作った。冉閔が帝位につくと斉王に封じられたが、最後はその権勢を恐れた冉閔に誅殺された。

関連

蕭子良

460年-494年。字は雲英。竟陵王。蕭賾の第2子。斉代随一の文化人で各種の書物や仏典に通じた。自邸である鶏籠山の西邸には当時の文人たちが多く集まり、著名人は竟陵八友と称される。蕭賾の死後、王融らに擁立される動きがあったが、権力闘争を避け実現しなかった。間もなく死去。

王鎮悪

373年-418年。北海郡劇県の人。王猛の孫。王休の子。前秦が崩壊して関中が混乱すると、叔父の王曜に従って東晋へ亡命した。武芸は不得意だったが学問には優れ、推薦を受けて劉裕に仕えた。劉裕の北伐に大きく貢献した。沈田子の救援に譴責をもって応えたため、沈田子の不信を買って殺害された。

宇文泰

505年-556年。字は黒獺。匈奴宇文部の人。武川鎮出身。六鎮の乱では鮮于修礼に属するが、鮮于修礼が敗北すると、爾朱栄の部将であった賀抜岳に従った。賀抜岳が高歓に殺されると実権を掌握して元脩を迎えた。周礼を基礎とする制度改革と鮮卑復古を推進し、北周の基盤を作った。病没。

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