李農
publish: 2021-04-26, update: 2026-04-19
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?-350年。後趙の司空。石虎の死後、張豺と敵対し、張挙に助けられて石遵に従った。冉閔に同調して石遵の廃位に関わったため、内外に政敵を作った。冉閔が帝位につくと斉王に封じられたが、最後はその権勢を恐れた冉閔に誅殺された。
関連
蕭淵明
?-556年。字は靖通。梁の第6代皇帝。閔帝。蕭懿の第5子。侯景が梁に降伏した際、東魏と戦って捕虜となり長らく抑留された。東魏に代わった北斉により皇帝として梁に送り込まれた。王僧弁に支持されて即位するが、陳霸先の攻撃に王僧弁が敗死したため、廃されて間もなく病没した。
苻洪
284年?-350年。字は広世。元の姓を蒲とする。氐の出身。前趙、後趙に従い、石虎の代には使持節、都督六夷諸軍事、冠軍大将軍を受任し、西平郡公に封じられた。石虎の死後は冉閔と対立し、関中一帯に自立したが、麻秋に毒殺された。その勢力は子の苻健に引き継がれ、前秦の実質的な創建者と捉えられる。
高延宗
544年-577年。安徳王。高澄の第5子。高粛の弟。陳、北周の侵略が始まると、及び腰の宗族の中で善戦した。高緯が逃走すると、周囲から皇帝として擁立され晋陽を守備した。北周の侵攻になすすべなく捕縛され、北斉滅亡後は賓客として遇されたが、穆提婆の反乱未遂がおこると自害した。