呉漢 ( ごかん )

publish: 2021-08-12, update: 2026-04-19

?-44年。字は子顔。南陽郡宛県の人。県の亭長を務めたが食客の罪に連座し逃亡した。馬商人として生計を立てるなか韓鴻に見出されて県令となった。河北を巡撫する劉秀に従い、偽の檄文を作って彭寵を抱き込んだ。沈着、果敢であり、軍職を歴任して連年の遠征を務めた。略奪や苛烈な指揮が多かった。大司馬、広平侯。

関連

李洪

生没年不詳。渤海郡蓨県の人。李臻の孫。永嘉の乱では潁川郡定陵県に移住し舞陽にて塢壁を築いた。王浚によって雍州刺史に任じられるが、後に慕容皝に帰順した。昇進を重ねて司空まで昇る。前燕滅亡時に長安に送られ駙馬都尉に任じられた。やがて没した。

黄泓

284年?-381年?。字は始長。魏郡斥丘県の人。黄沈の子。永嘉の乱が起こると薊へ避難し、王浚を昏暴と評し慕容廆に仕えた。天文学に通じ、学者として史官や太史令を務めた。その学識から歴代の謀主や参軍などの相談役、軍師職を兼任した。前燕滅亡時まで健在だったが老齢のため前秦には仕えなかった。享年97という。

王元姫

217年-268年。東海郡郯県の人。王粛の娘。司馬昭の妻。司馬炎の母。幼くして礼節と孝行を持ち合わせ祖父の王朗からは男子でないことを惜しまれた。鍾会の禍を予見した。没後も質素と謙譲の姿が偲ばれ、その都度親族の女性への追贈がなされた。諡は明。文明皇后。

page /opt/build/repo/content/dynasties/025_後漢/retsuden/44_呉漢.md