呉漢
publish: 2021-08-12, update: 2026-04-19
?-44年。字は子顔。南陽郡宛県の人。県の亭長を務めたが食客の罪に連座し逃亡した。馬商人として生計を立てるなか韓鴻に見出されて県令となった。河北を巡撫する劉秀に従い、偽の檄文を作って彭寵を抱き込んだ。沈着、果敢であり、軍職を歴任して連年の遠征を務めた。略奪や苛烈な指揮が多かった。大司馬、広平侯。
関連
羊献容
?-322年。羊玄之の子。泰山羊氏の出自。母が孫旂の娘であったことから、司馬倫が賈南風を廃位したとき孫秀によって恵帝皇后に擁立された。その後、八王の乱で主導者が入れ替わるたびに廃位と復位を繰り返した。洛陽陥落時には平陽へ連行され劉曜に保護され、後に皇后となった。皇后となること七度に及ぶ。
李績
生没年不詳。字は伯陽。范陽郡の人。李産の子。後趙の范陽郡功曹を務めた。後趙が混乱すると自立した王午に従い主簿となった。父・李産は既に前燕に降伏しており、節義を重んじた王午によって郷里に返され慕容儁に仕えた。昇進を重ねたが、慕容暐の不興を買って章武郡太守に左遷された。
拓跋弘
454年-476年。北魏の第5代皇帝。献文帝。拓跋濬の第1子。父拓跋濬の死後即位する。即位時は幼少であったため、丞相の乙渾や馮太后が補佐に当たった。親政を行うと馮太后と対立し子の拓跋宏への譲位を余儀なくされる。国内の法治を整備したが、馮太后に毒殺された。在位6年。