高澄
publish: 2021-11-03, update: 2026-04-19
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521年-549年。字は子恵。高歓の子。強い政治力をもって高歓の死後、東魏の実権を掌握したが、梁の降臣・蘭京に殺害された。実権は弟の高洋が継いだ。元善見を狗脚の朕と罵倒した苛烈な性格の持ち主。美男子と評される。
関連
傅俊
? - 31年。字は子衛。潁川郡襄城県の人。王莽政権で襄城の亭長を務め、劉秀を迎えて校尉となった。このとき母と弟を失い昆陽の戦い以後、服喪のため帰郷した。河北攻略中に邯鄲で合流した。劉秀の皇帝即位時には陰麗華を迎える使者となった。積弩将軍、昆陽侯。
司馬道子
364年-403年。字は道子。第8代皇帝・司馬昱の子。琅邪王、次いで会稽王。司馬曜からの信任が厚く、謝安を左遷させると中央の要職を掌握した。やがて酒におぼれて無頓着となり、王国宝と共に朝廷を恣縦した。王恭、桓玄らが反乱すると子に実権を委ねて事態を収拾させた。司馬元顕が失脚すると捕縛、毒殺された。
仏図澄
232年-349年。姓は白。亀茲国、または天竺の出身。石勒、石虎からの信頼を得て、仏教を急速に普及させた。訳経を行わず神異僧に数えられるが、その布教は高邁な教義や神異の力ではなく、日常生活に則した生活態度を根本とした。門下からは多数の高僧を出し、仏教の源流となった。