高澄 ( こうちょう )

publish: 2021-11-03, update: 2026-04-19

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521年-549年。字は子恵。高歓の子。強い政治力をもって高歓の死後、東魏の実権を掌握したが、梁の降臣・蘭京に殺害された。実権は弟の高洋が継いだ。元善見を狗脚の朕と罵倒した苛烈な性格の持ち主。美男子と評される。

関連

王球

393年-441年。字は倩玉。琅邪郡臨沂県の人。王謐の子。王導の玄孫。太守として統治に優れ、中央に入って侍中、州大中正、中書令を歴任した。権臣との過度な交流を避け顔延之ら文人との交友を持った。持病のため解任されたが無官のまま劉義隆の諮問が絶えなかった。

王祥

185年-269年。字は休徴。琅邪郡臨沂県の人。王融の子。伯父・王叡が孫堅に殺害されると一族と共に廬江へ逃れ、以後仕官を固辞し続けた。60歳を過ぎて徐州刺史・呂虔の招聘に応じ別駕となった。以降、経歴は温県令に始まり大司農まで昇り魏の重臣となった。西晋では太保、睢陵公まで昇った。

悦綰

?-368年。鮮卑の人。慕容皝に服属した大人の一人。後趙の遠征を退けるなど一軍を率いて活躍した。并州刺史、尚書左僕射を歴任した。慕容評が悪政を行うと、上奏して多くの不正を摘発した。前秦の侵攻を前に病没するが、慕容評による暗殺の風聞も流れた。

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