張挙
publish: 2021-04-26, update: 2026-04-19
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?-351年。後趙の征北大将軍、太尉を歴任した。李農と親交が厚く、張豺と敵対する李農を逃がした。一貫して後趙の朝廷に従ったが、冉閔が国号を改めると、離反して襄国の石祗を頼った。石祗が冉閔に対して劣勢になると、前燕に援軍を求める使者となったが、石祗の死後、見返りの玉璽が偽物だと露見し処刑された。
関連
陸抗
226年-274年。字は幼節。呉郡呉県の人。陸遜の子。母は孫策の娘、妻は張承の娘で諸葛恪の姪。陸遜が死去すると建業に赴き父の生前の疑惑を解いた。後に孫権から陸遜の冤罪について謝罪を受けた。荊州に駐屯し羊祜と鎬を削ったほか、個人的な親交を結んで羊陸之交の故事成語を残した。大司馬、荊州牧まで昇る。
陳泰
?-260年。字は玄伯。陳羣の子。母は荀彧の娘。豫州潁川郡許昌県の人。魏の侍中、光禄大夫など中央職を歴任する一方で、優れた統率力を発揮して各州諸軍事の都督として蜀呉の侵略を度々鎮めた。司馬昭の信任も厚かったが、甘露の変において司馬昭と賈充を痛烈に批判し間もなく没した。穆侯と諡された。
苻堅
338年-385年。字は永固。前秦の第3代皇帝。宣昭帝。苻雄の子。苻生を廃して皇帝に即位した。内政を充実させ、外征では前燕、仇池、前涼、代を立て続けに滅ぼし華北を統一した。淝水の戦いで東晋に大敗すると各地で造反が起こり禅譲を迫る姚萇に殺害された。