張挙
publish: 2021-04-26, update: 2026-04-19
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?-351年。後趙の征北大将軍、太尉を歴任した。李農と親交が厚く、張豺と敵対する李農を逃がした。一貫して後趙の朝廷に従ったが、冉閔が国号を改めると、離反して襄国の石祗を頼った。石祗が冉閔に対して劣勢になると、前燕に援軍を求める使者となったが、石祗の死後、見返りの玉璽が偽物だと露見し処刑された。
関連
王僧弁
?-555年。字は君才。王神念の子。父の代に北魏から梁へ亡命した。蕭繹に仕えて竟陵郡太守となった。侯景の乱では、蕭誉を討伐し、次いで陳霸先と協力して建康の奪還に成功した。蕭繹が江陵で敗死すると、帝位の正統を廻って陳霸先と対立し、陳霸先に殺害された。
元善見
524年-552年。東魏唯一の皇帝。孝静帝。拓跋宏の曾孫。元懌の孫。元亶の第1子。元脩が高歓の排除に失敗して宇文泰を頼ると、洛陽には皇帝が不在となったため高歓に擁立された。高歓の傀儡であり実権は高澄、高洋へ継がれた。高澄の誅殺を計画するが失敗し、高洋に禅譲した。
陳叔宝
553年-604年。字は元秀。陳の第5代皇帝。後主。陳頊の第1子。父陳頊の死後即位した。施文慶、沈客卿、江総ら奸臣を重用し、自らは飲酒や詩作に耽って政治を顧みなかったため、国政は乱れて国力は衰退した。隋の攻撃に降伏し、警戒されることなく余生を全うした。在位7年。