劉隆 ( りゅうりゅう )

publish: 2021-08-16, update: 2026-04-19

?-57年。字は元伯。劉礼の子。長沙王・劉発、および安衆侯・劉丹の末裔で、劉秀とは同じ南陽劉氏で遠い縁戚にあたる。劉玄から騎都尉を任命されたが、劉秀に合流した。南郡太守を務めたとき不正により一時庶民に落された。呉漢の死後は、大司馬を兼任した。驃騎将軍、慎侯。

関連

任光

?-29年。字は伯卿。南陽郡宛県の人。宛の吏人であり劉玄の挙兵による混乱で殺されそうになるが、劉賜に助けられ従った。信都郡太守となり、王郎が挙兵した際その使者を斬って李忠、萬脩とともに立て籠った。薊県から逃れた劉秀を迎え河北攻略の拠点となった。信都太守、阿陵侯。

劉志

132年-168年。桓帝。後漢の第11代皇帝。蠡吾侯・劉翼の子。梁冀に擁立され、長らく梁冀の傀儡も同然の扱いを受けた。長じて梁冀誅殺を目論み、宦官の単超の助力を得て梁冀を自殺に追い込んだ。一方、宦官への権力集中が進み党錮の禁なる官僚への弾圧が始まり、対宦官の権力闘争が激化した。

王猛

325年-375年。字は景略。北海郡劇県の人。漢人。貧しい幼少を経て鄴へ遊学した。徐統に取り立てられたが応じず華山へ隠遁した。呂婆楼に推挙されて苻堅に仕え、その様は劉備と諸葛亮に例えられる。内治から前燕攻略まで枢機に携わり丞相まで昇った。病没。武廟六十四将。

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