劉隆
publish: 2021-08-16, update: 2026-04-19
?-57年。字は元伯。劉礼の子。長沙王・劉発、および安衆侯・劉丹の末裔で、劉秀とは同じ南陽劉氏で遠い縁戚にあたる。劉玄から騎都尉を任命されたが、劉秀に合流した。南郡太守を務めたとき不正により一時庶民に落された。呉漢の死後は、大司馬を兼任した。驃騎将軍、慎侯。
関連
石祗
?-351年。後趙の第7代皇帝。新興王。石虎の子。冉閔が石鑑を廃して冉魏を建てると封地の襄国で皇帝に即位した。冉閔討伐の兵を興すも一進一退し、冉閔に敗れて保身を図った配下の劉顕によって殺害された。史書によっては君主として数えられない。
劉準
469年-479年。字は仲謀。劉宋の第8代皇帝。順帝。劉彧の第3子。兄劉昱が蕭道成に殺害されると蕭道成によって擁立された。沈攸之、袁粲は蕭道成打倒に挙兵するが、いずれも鎮圧された。蕭道成に禅譲を迫られ汝陰王に降格された。後に殺害された。在位2年。
司馬冏
?-302年。字は景治。斉王。司馬昭の孫。司馬攸の子。八王の一人。司馬倫に協力して賈氏一族を滅ぼすが、後に司馬倫から軽んじられた。司馬倫が暴政を行うと、司馬穎、司馬顒らと決起して司馬倫を退位させ、司馬衷を復位させた。司馬顒が挙兵すると洛陽で呼応した司馬乂によって捕縛され、処刑された。