裴叔業 ( はいしゅくぎょう )

publish: 2021-08-09, update: 2026-04-19

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438年-500年。裴順宗の子。裴潜の弟・裴徽の末裔。宋の時代に軍人として累進し、蕭道成の配下となった。蕭鸞と親しく信任されて北魏戦線を転戦したが、その死後、反乱を疑われて崔慧景、蕭懿らの討伐を受けた。北魏に救援を求めるも、間もなく病没した。

関連

斛斯椿

495年-537年。字は法寿。斛斯敦の子。爾朱栄の配下として転戦して爾朱氏から信任を得た。韓陵の戦いでは高歓を討つために戦うが、敗北後は寝返って爾朱彦伯、世隆兄弟を襲撃して殺害した。後に高歓に対して不安を抱き、保身から元脩と高歓の対立を煽った。西魏の重職を歴任して病没。

可足渾氏

生没年不詳。慕容儁の皇后。景昭皇后。慕容暐、慕容沖の母。猜疑心や妬心が強く、慕容垂の妻である段氏を死に至らしめたため、慕容垂とは徹底的に仲違いした。権力掌握を目指した慕輿根に利用されたり、慕容垂の誅殺を企むなど、前燕滅亡の遠因となった。

許慎

生没年不詳。字は叔重。汝南郡召陵県の人。汝南郡の属官を経て、孝廉をもって中央に出仕し洨県県令、太尉南閤祭酒など務めた。経書を広く学んで五経無双と称された古文経学の大家。漢字の原理を六種類に分類する六書の説明は、著書『説文解字』が最古である。

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