裴叔業
publish: 2021-08-09, update: 2026-04-19
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438年-500年。裴順宗の子。裴潜の弟・裴徽の末裔。宋の時代に軍人として累進し、蕭道成の配下となった。蕭鸞と親しく信任されて北魏戦線を転戦したが、その死後、反乱を疑われて崔慧景、蕭懿らの討伐を受けた。北魏に救援を求めるも、間もなく病没した。
関連
高殷
545年-561年。字は正道。北斉の第2代皇帝。廃帝。高洋の第1子。北斉建国と共に立太子されるが、父の高洋に疎まれた。父高洋の死後即位する。鮮卑系武官と漢人系文官の対立を経て高演へ権力が集中した。太皇太后の婁昭君の勅令により廃され、後に高演に殺害された。在位1年。
楊大眼
?-518年。後仇池の王・楊難当の孫。国内の反乱や梁の国境を転戦した。飛ぶように走るなど身体に優れ、その武勇は関羽や張飛に比肩された。豪傑としての逸話は豊富に残る。文盲だったが記憶力に優れた。鍾離の戦いでは兵卒に降格となったが、後に復職した。
張瓘
?-359年。宗族だが系譜は不明。張駿の代に、寧戎校尉、河州刺史を歴任して強勢を作った。張祚討伐のための挙兵を成功させ、張玄靚の輔弼の筆頭となった。宋混を恐れて誅殺しようとしたが、事前に察知した宋混の攻撃を受け、自害した。猜疑心が強く、苛虐であった。