孟宗 ( もうそう )

publish: 2021-08-06, update: 2026-04-19

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?-271年。字は恭武。江夏郡の人。李粛に学問を学び、朱拠の属官となった。呉県令を務める間に母を亡くした。職務を放棄して喪に服したため、処刑されそうになるが陸遜の助命により減刑された。孫亮の廃位に関わり、司空まで昇った。母に筍を食べさせた逸話から孟宗竹の語源となった。

孫皓の字の元宗を避諱して孟仁とも呼ばれる。

関連

袁安

?-92年。字は召公。汝南郡汝陽県の人。袁良の孫。県の吏人を務め、孝廉に挙げられた。県令から太守へと着実に昇進し、優れた行政を評価されて太僕へ栄転、以後、司空、司徒を歴任した。外戚の竇氏を弾劾し、清流派の立場を確立してなお失脚せずに現職であり続けた。

徐統

?-349年。後趙の右光禄大夫、司隷校尉、侍中を歴任した。人を見る目を持ち、若き頃の王猛や苻堅を見出したと逸話が残る。石虎の死後、張豺らが朝政を乱すと、乱には預かれぬとして自殺した。後に、末子である徐攀は苻堅に取り立てられ、琅邪郡太守となった。

元育

?-555年。淮安王。字は僧会。北魏の高陽王・元雍の子。献文帝・拓跋弘の孫。孝武帝・元脩に従って関中に入った。西魏の使持節、大将軍、大都督を兼任した。尚書・元烈が宇文泰に殺害されると、不満を漏らす元欽を泣いて諫めたが、宇文泰による元欽廃位を止められなかった。

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