孟宗 ( もうそう )

publish: 2021-08-06, update: 2026-04-19

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?-271年。字は恭武。江夏郡の人。李粛に学問を学び、朱拠の属官となった。呉県令を務める間に母を亡くした。職務を放棄して喪に服したため、処刑されそうになるが陸遜の助命により減刑された。孫亮の廃位に関わり、司空まで昇った。母に筍を食べさせた逸話から孟宗竹の語源となった。

孫皓の字の元宗を避諱して孟仁とも呼ばれる。

関連

劉師知

?-567年。劉景彦の子。梁の諸王府の参軍を歴任した。学問を好んで博学であり、陳建国時の儀礼、制度を定めた。陳蒨が重篤になると到仲挙らと共に病床に近侍して決裁を代行した。陳伯宗が即位すると、陳頊の排斥を行ったが、かえって陳頊に捕縛され処刑された。

苻生

335年-357年。字は長生。前秦の第2代皇帝。厲王。苻健の三男。苻健の死後、皇帝に即位した。漢中攻略を目論む姚襄を敗死させた。残虐な性格で粛清を多く行ったため人心を失った。政変を決行した苻堅に殺害された。在位3年。

韓范

?-410年。慕容徳に従った南燕創業の臣。姚興と共に前秦の太子中舎人を務めたことが、後に後秦との和親に繋がった。劉裕が北伐したとき後秦に赴くも、援軍を得られないと知って南燕の天命を悟り東晋に降った。劉裕からは信任され南燕の旧領を委任されたが、劉穆之に謀反を告発されて処刑された。

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