孟宗
publish: 2021-08-06, update: 2026-04-19
?-271年。字は恭武。江夏郡の人。李粛に学問を学び、朱拠の属官となった。呉県令を務める間に母を亡くした。職務を放棄して喪に服したため、処刑されそうになるが陸遜の助命により減刑された。孫亮の廃位に関わり、司空まで昇った。母に筍を食べさせた逸話から孟宗竹の語源となった。
孫皓の字の元宗を避諱して孟仁とも呼ばれる。
関連
劉煕
?-329年。字は義光。前趙の第6代皇帝。劉曜の第3子。後趙の洛陽攻略中に父劉曜が捕縛され殺害されたため、長安から上邽へと遷都した。長安回復のため兄劉胤を派遣するが石虎に敗れ、そのまま上邽を攻略する石虎によって処刑された。建国26年目にして前趙は滅亡した。
魚豢
生没年不詳。雍州京兆郡の人。魏の郎中となるが、そのほかの事跡は不明。私撰である『魏略』、および『典略』を著した。著書のほとんどは唐代後期に散逸し、現存ずるものはごく一部であるが、正史『三国志』を始め、他の史書の引用、転載として継承されたと考えられる。倭国に関する最古の記述と目される。
祭遵
?-33年。字は弟孫。潁川郡潁陽県の人。更始政権下で県の吏だったが、容姿と態度を劉秀に気に入られ河北攻略に従った。性は温厚でありながら苛烈であった。儒者であり清廉潔白を信条とし、罪を犯した者は劉秀の一族であっても格殺した。怒った劉秀に逮捕されたが、許されて厳正さを称えられた。征虜将軍、潁陽侯。