劉植
publish: 2021-08-16, update: 2026-04-19
?-26年。字は伯先。鉅鹿郡昌城県の人。王郎が挙兵して河北が揺れたとき、昌城県を守って劉秀を迎え入れた。真定王劉楊との婚姻外交を行い、郭聖通との縁組を成立させた。これにより劉秀の河北における地盤を固めた。驍騎将軍、昌城侯。
関連
陸機
261年-303年。字は士衡。呉郡呉県の人。陸抗の子。始め呉の牙門将となったが、滅亡と共に隠棲し10年に渡って在野で学問にはげんだ。招聘されて張華、賈謐と親交を結んだ。司馬倫の政変に協力したために罪を得たが司馬穎に救われた。司馬穎政権に参与して讒言を受けた司馬穎に処刑された。
謝朓
464年-499年。字は玄暉。陳郡陽夏県の人。謝緯の子。蕭賾の治世に出仕し諸王や重臣の属官を経て蕭鸞に大いに信任された。岳父・王敬則が反乱するとその計画を告発した。江祏の反乱への加担を拒否したため露見を恐れた蕭遙光、江祏らに殺害された。山水詩を洗練させた名人。
李庠
247年-301年。字は玄序。李慕の子。李輔、李特の弟。李流、李驤の兄。郡の属官として仕えたが任官を固辞した。斉万年の乱では流民となって蜀へ渡るが、任侠心が強く人望を集めた。趙廞が決起するとこれに従うが、趙廞に勢力を恐れられて誅殺された。