冉閔 ( ぜんびん )

publish: 2021-04-26, update: 2026-04-19

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?-352年。字は永曾。冉魏の君主。武悼天王。冉瞻の子。石虎の養子。漢人。後趙の将軍として功績を立てる。石虎の死後混乱した後継問題に介入し、石遵、石鑑を廃して皇帝に即位した。後趙残党の石祗を滅亡させるも、前燕の南下を引き起こし慕容恪に捕らえられ処刑された。

関連

司馬瑋

271年-291年。字は彦度。楚王。司馬炎の第5子。八王の一人。賈南風による楊駿排斥に協力した。その後、補政の任に当たった司馬亮や衛瓘と対立し、賈南風に唆されて司馬亮、衛瓘を粛清した。賈南風によって司馬亮、衛瓘殺害の罪を押し付けられ処刑された。横暴の評価が残る。

赫連定

?-432年。夏の第3代皇帝。赫連勃勃の第5子。兄赫連昌が北魏に捕らえられると即位した。残党を糾合して一時は関中やオルドス地方を奪還するが北魏の逆襲を受けて失地回復は成らなかった。北魏に圧されて西秦を滅ぼすが吐谷渾の攻撃により捕縛され北魏に送られて処刑された。

謝恵連

397年-433年。陳郡陽夏県の人。謝方明の子。何長瑜に師事し文才で名を挙げた。男色関係があったほか、喪中に詩を贈ったとして流刑となった。才能を愛した殷景仁に弁護され彭城王・劉義康の属官となった。残した詩文は美文として評価される。

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