司馬瑋 ( しばい )

publish: 2021-04-25, update: 2026-04-19

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271年-291年。字は彦度。楚王。司馬炎の第5子。八王の一人。賈南風による楊駿排斥に協力した。その後、補政の任に当たった司馬亮や衛瓘と対立し、賈南風に唆されて司馬亮、衛瓘を粛清した。賈南風によって司馬亮、衛瓘殺害の罪を押し付けられ処刑された。横暴の評価が残る。

関連

姚弋仲

279年-352年。羌の首長。姚柯迴の子。南安郡赤亭県の人。前趙および、後趙に帰属し部族を維持した。石虎の代に河北の清河郡へ移住した。石虎の死後、後趙が混乱すると冉閔や苻洪と戦った。後趙が滅亡すると東晋への臣従を図ったが、まもなく病没した。胡人で天子となった者はいないと言葉を残した。

慕容紹宗

501年-549年。字は紹宗。慕容遠の子。前燕の太原王・慕容恪の末裔。爾朱栄および爾朱兆に従った。爾朱兆が自害すると残党をまとめて高歓に降った。侯景が叛すると東南道行台となり、侯景と梁の軍を撃破した。西魏の潁川攻略中に自船を拿捕され自害した。

苟晞

?-311年。字は道将。貧しい家の生まれだったが、東海王・司馬越に招聘されて、陽平郡太守まで昇進した。八王の乱では、主に司馬越に従い、公師藩、劉喬、汲桑らを討伐し、威光を高めた。青州刺史として曹嶷らと争った。後に司馬越と対立し、司馬越の死後、石勒によって滅ぼされた。有能であったが過酷でもあった。

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