阮瑀 ( げんう )

publish: 2021-08-11, update: 2026-04-19

?-212年。字は元瑜。陳留郡の人。蔡邕に師事し奇才の評価を得た。曹操に仕えて司空軍謀祭酒を務めた。文章に優れて数々の公文書の起草に携わったが、詩の評価は高くない。建安の七子の一人。子の阮籍、孫の阮咸はともに竹林の七賢に数えられる。

関連

慕容策

386年-398年。濮陽王。慕容宝の子。美少年と記録が残る。父・慕容宝からは愛され、慕容会が太子から廃されると新たな太子として立てられた。段速骨、および蘭汗が反乱すると、擁立されたが、間もなく殺された。

慕容法

生没年不詳。南燕の中軍将軍、兗州刺史。 後に、征南大将軍、都督徐州揚州兗州南兗州諸軍事として南燕の軍事を支えた。 あからさまに慕容超を軽侮した。慕容超の即位後は不和が明確になり、慕容鍾、段宏と共に謀反するが、失敗して北魏へ逃亡した。

拓跋濬

440年-465年。北魏の第4代皇帝。文成帝。拓跋燾の子拓跋晃の第1子。宗愛が拓跋燾、拓跋翰、拓跋余を相次いで弑逆すると、これに対抗した陸麗、劉尼、源賀によって擁立された。内政に力を注ぎ国力の拡充を図った。仏教弾圧を廃止し雲崗石窟を造営した。在位13年。

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