沈田子
publish: 2021-07-09, update: 2026-04-19
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383年-418年。字は敬光。呉興郡武康県の人。沈穆夫の子。劉裕が桓玄討伐に挙兵すると従った。北伐に従軍したほか、盧循の乱にも対処して功を挙げた。長安占領時は劉義真の下で王鎮悪と共に防御に当たったが、不信を募らせて王鎮悪を殺害した。まもなく王修に殺害された。
関連
王叡
?-189年。字は通耀。琅邪郡臨沂県の人。琅邪王氏。後漢末期に荊州刺史を務めた。孫堅と共に荊州南部の反乱を鎮圧した。反董卓の動きが起こると不仲だった武陵太守・曹寅の殺害を図ったが、察知した曹寅に罪を偽造され檄文に応じた孫堅に攻められた。自害。
後任の荊州刺史には、董卓の命を受けた劉表が赴任した。
和士開
524年-571年。字は彦通。清都郡臨漳県の人。和安の子。西域の商胡(ソグド人)の子孫という。北斉が成ると召されて高湛に寵愛された。高洋に軽薄と評価され長城への徙刑に処され後に許された。高湛の即位後は累進して、高湛の死後は権力を専横した。高儼によって捕縛、処刑された。
陽騖
?-367年。字は士秋。右北平郡無終県の人。漢人。陽耽の子。慕容廆の代に多く献策し重用された。遼東郡太守、左長史、司隷校尉を歴任した。輔義将軍として三輔と称され中原進出の中核を担った。尚書令、司空などの顕職を歴任し誤りが無かった。病没。