韋叡
publish: 2021-11-02, update: 2026-04-19
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442年-520年。字は懐文。韋祖帰の子。前漢の丞相・韋賢の末裔。関中の名族。東晋の劉裕が後秦を滅ぼしたとき先祖が江南へ移民した。軍事行政共に疎漏がなく、人格は謹厳で常に周囲から敬慕された。宋、斉、梁の3王朝に仕えて、侍中、車騎将軍まで昇る。病没。
関連
桓玄
369年-404年。字は敬道。桓温の庶子、末子。司馬道子が専横すると、王恭、殷仲堪に呼応して挙兵した。挙兵は失敗するも自身は西府軍団の掌握に成功した。孫恩の乱では鎮圧を通して司馬元顕、劉牢之を除き、朝廷を掌握した。司馬徳宗を廃して皇帝を称し国号を楚とするが、劉裕の攻撃を受けて逃亡中に殺害された。
干宝
?-336年。字は令升。汝南郡新蔡県の人。干統の孫。干瑩の子。代々呉の官吏を務めた。王導の推薦を受けて史官となり、国史を編纂した。著作郎を経て散騎常侍まで昇る。幅広く著作を残し、『晋紀』『周易注』『春秋左氏函伝義』『周官礼注』『捜神記』がある。
苻生
335年-357年。字は長生。前秦の第2代皇帝。厲王。苻健の三男。苻健の死後、皇帝に即位した。漢中攻略を目論む姚襄を敗死させた。残虐な性格で粛清を多く行ったため人心を失った。政変を決行した苻堅に殺害された。在位3年。