韋叡
publish: 2021-11-02, update: 2026-04-19
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442年-520年。字は懐文。韋祖帰の子。前漢の丞相・韋賢の末裔。関中の名族。東晋の劉裕が後秦を滅ぼしたとき先祖が江南へ移民した。軍事行政共に疎漏がなく、人格は謹厳で常に周囲から敬慕された。宋、斉、梁の3王朝に仕えて、侍中、車騎将軍まで昇る。病没。
関連
張衡
78年-139年。字は平子。南陽郡西鄂県の人。貧家に生まれたが、幼くして文学を好み賞賛された。洛陽、長安へ留学し崔瑗に師事して学問を修めた。太史令、河間国相、尚書を歴任したが、性は剛直で官職を好まなかった。天文学、数学、地学に精通したほか、賦、絵画を得意とした文人でもある。
慧遠
334年-416年。姓は賈。雁門郡楼煩県の人。釈道安を師として出家した。前秦との戦乱を尋陽郡柴桑県に避け、廬山に入って以後30年間、山を下りなかった。白蓮社なる念仏結社を創り中国浄土宗の祖となった。仏法は王法に従属しないと説き、桓玄と意見を対立させた。
任昉
460年-508年。字は彦昇。楽安郡博昌県の人。任遙の子。丹陽尹の主簿となって後に蕭子良の属官に転じた。蕭鸞の不興を買って一時、不遇となるが、蕭衍が政権を握ると禅譲の詔勅などを書き上げた。文筆に優れて「任筆沈詩」と詩にすぐれた沈約と比較して評価された。交際が豊富で財産に執着しなかったという。