宋混
publish: 2021-04-26, update: 2026-04-19
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?-361年。字は玄一。敦煌郡の人。代々、当地の豪族で、張重華の代に驃騎将軍まで昇る。忠義に厚く、人望を集めた。張祚の誅殺を掲げて張瓘が挙兵すると、呼応して挙兵し張祚を処刑した。張重華の末子・張玄靚を推戴し輔弼した。張瓘を害意を察知して決起し、張瓘を敗走させて自害に追いやった。病没。
関連
徐光
?-333年。字は季武。頓丘郡の人。張賓の死後、石勒に重用された。父の徐聡は牛医であったが、戦乱のため幼くして王陽に捕らえられ労働に従事した。学識を認められ石勒に取り立てられた。石勒の不興を買って一時幽閉されるが、後に許され顕職を務めた。石勒の死後、石虎に誅殺された。
裴嶷
生没年不詳。字は文冀。河東郡聞喜県の人。西晋で中書侍郎となり昌黎郡太守として遼東に赴任した。兄の死後、中央に召還されて遼西を通過したとき、慕容廆に礼遇されて以後、慕容廆に仕えた。慕容廆からは天が君を下賜したと言わしめて絶大な信任を得た。手腕は謀略、政治の広範におよび、前燕の基盤確立に貢献した。
司馬攸
246年-283年。字は大猷。斉王。司馬昭の第3子。子がいない司馬師の猶子となった。聡明でありながら人徳を有し、宗族の中で一際輿望を集めた。後継問題を背景に、司馬炎から疎まれて、封地への帰国を命じられた。まもなく病没。司馬攸帰藩事件として、八王の乱の初端と解される。