蘇峻 ( そしゅん )

publish: 2021-07-10, update: 2026-04-19

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?-328年。字は子高。長広郡挺県の人。西晋の安楽相・蘇模の子。永嘉の乱では掖県にて塢壁を築き、内外の評価を得た。青州を実効支配した曹嶷の討伐を受けると広陵へと避け、東晋の麾下に入った。王敦の乱で功績を挙げ高位に上ると、庾亮に異心を疑われ反乱した。一時は建康を落すも陶侃らの反攻を受け敗死した。

関連

馬成

?-56年。字は君遷。南陽郡棘陽県の人。劉秀が潁川を攻略したころ、安集掾、郟県県令代行となった。北方の守備に長け、并州から幽州にかけて防壁、櫓などを建設した。中央に召還されたときには北方への復職を望む嘆願があり中山太守となった。中山太守、全椒侯。

夏侯徽

211年-234年。沛国譙県の人。字は媛容。夏侯尚の娘。夏侯玄の妹。司馬師の妻。母は曹真の妹で曹爽は従兄にあたる。つねに見識と度量があったと評価される。夫・司馬師との不和により死を賜った。司馬師の後妻・羊太后の働きかけで皇后を追贈された。諡は懐。景懐皇后。

劉纘

138年-146年。質帝。後漢の第10代皇帝。勃海王・劉鴻の子。千乗王・劉伉の曾孫。梁冀により擁立された。梁冀の専横を誰も咎めない朝廷を見かねて、僅か8歳にして梁冀を跋扈将軍と揶揄して譴責した。その聡明さと気概を恐れた梁冀によって毒殺された。

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