楊逸
publish: 2022-02-21, update: 2026-04-19
章節
標籤
500年-531年。字は遵道。弘農郡華陰県の人。楊津の子。河陰の変では爾朱栄に従い、孝荘帝・元子攸を河陽に迎えた。元子攸が爾朱栄を粛清すると活路を一族で協議したが、爾朱仲遠の使者により殺害された。行政に優れてその慧眼を千里眼と畏敬され、成語としての千里眼の語源となった。
関連
李歆
?-420年。字は士業。西涼の第2代公。後主。李暠の第2子。父の死後公位を継ぐ。父・李暠の政策を継承し東晋に臣従した。刑賞の乱れや財政難を起こし失政が続いた。北涼への遠征を強行するも、逆に北涼の沮渠蒙遜に大敗し捕らえられて処刑された。
司馬休之
?-417年。字は季豫。譙王の司馬恬の子。司馬懿の弟・司馬進の来孫にあたる。荊州刺史を務めたが桓玄に追われて南燕に亡命し、桓玄の滅亡後に帰国した。後秦や北魏の支援を受けて劉裕と敵対するが、敗れて長安に逃れ、続けて後秦が滅びると北魏の庇護を受けた。病没。
荀藩
245年-313年。字は泰堅。後漢の司空・荀爽の玄孫。荀勗の子。司馬顒が長安に居ながら二元政治を行ったとき、洛陽にいて政治を取り仕切った。永嘉の乱では洛陽から逃亡して臨時政府を立て、司馬睿を盟主とした。司馬鄴を迎えたが、長安遷都には従わなかった。司空まで昇る。病没。