楊逸
publish: 2022-02-21, update: 2026-06-25
500年-531年。字は遵道。弘農郡華陰県の人。楊津の子。河陰の変では爾朱栄に従い、孝荘帝・元子攸を河陽に迎えた。元子攸が爾朱栄を粛清すると活路を一族で協議したが、爾朱仲遠の使者により殺害された。行政に優れてその慧眼を千里眼と畏敬され、成語としての千里眼の語源となった。
関連
高恒
570年-578年。北斉の第6代皇帝。幼主。高緯の第1子。北周の攻撃により首都鄴の包囲が差し迫ると、父高緯から帝位を譲られて即位した。青州に逃亡するが捕えられた。北周により温国公に封じられるが、穆提婆が反乱の罪を問われると、連座して処刑された。
王融
467年-493年。字は元長。名門貴族である琅邪王氏の出身。王道琰の子。竟陵八友の一人。蕭賾の死後、蕭子良を擁立するが、蕭子良に即位の意思はなく、蕭鸞が蕭昭業を奉じて強く反対したため、蕭昭業の即位の後、逮捕され、ほどなく自殺を命じられた。
元賛
生没年不詳。広平王。元悌の子。北魏の広平王を継ぎ、驃騎大将軍、開府儀同三司となった。叔父にあたる孝武帝・元脩が関中に入るとこれに従った。元脩が宇文泰に殺害されると皇帝に擁立する動きがあった。司徒、太尉、司空を歴任した。尚書・元烈が宇文泰に殺害されると、不満を漏らす元欽を泣いて諫めた。