萬脩 ( ばんしゅう )

publish: 2021-10-04, update: 2026-04-19

?-26年。字は君游。扶風茂陵県の人。劉玄政権で信都郡信都県の県令となった。信都郡太守の任光に従い劉秀を迎えた。河北攻略、洛陽、南陽と転戦した。鄧奉の反乱によって宛で孤立し、間もなく病没した。右将軍、槐里侯。

関連

傅亮

374年-426年。字は季友。北地郡霊州県の人。傅玄の来孫。傅瑗の子。東晋の時代に劉裕政権の下で昇進を重ねた。宋が建つと侍中、中書令を歴任した。建国の功臣として建城県公に封じられた。劉義符の廃位に関わり劉義隆を迎えたが、劉義符殺害の罪を問われ処刑された。

蘇峻

?-328年。字は子高。長広郡挺県の人。西晋の安楽相・蘇模の子。永嘉の乱では掖県にて塢壁を築き、内外の評価を得た。青州を実効支配した曹嶷の討伐を受けると広陵へと避け、東晋の麾下に入った。王敦の乱で功績を挙げ高位に上ると、庾亮に異心を疑われ反乱した。一時は建康を落すも陶侃らの反攻を受け敗死した。

苻法

?-357年。字は永則、幼名は阿法。苻雄の庶長子。清河王。苻生殺害の政変を決行し、弟の苻堅に皇帝即位を促した。憚った苻堅は皇帝ではなく大秦天王を称した。賢明で人望があったがゆえに、苻堅の生母・苟氏に猜疑され賜死を受けた。

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