慕容法 ( ぼようほう )

publish: 2026-04-17, update: 2026-04-17

章節

標籤

生没年不詳。南燕の中軍将軍、兗州刺史。 後に、征南大将軍、都督徐州揚州兗州南兗州諸軍事として南燕の軍事を支えた。 あからさまに慕容超を軽侮した。慕容超の即位後は不和が明確になり、慕容鍾、段宏と共に謀反するが、失敗して北魏へ逃亡した。

関連

司馬衍

321年-342年。字は世根。東晋の第3代皇帝。成帝。司馬紹の第1子。司馬紹の死後即位する。蘇峻の乱では建康が陥落したときに身柄を拘束されるが、乱が鎮圧されると建康に戻った。幼くして即位したため政治は王導、庾亮、温嶠らによって為された。若くして病没。在位17年。

元恭

498年-532年。北魏の第11代皇帝。節閔帝、または前廃帝。拓跋宏の弟元羽の子。爾朱世隆らに元曄が廃立されると代わって擁立された。既に北魏の朝廷は混乱を極め、高歓に擁立された元朗、梁に支援された元悦が並び立った。爾朱天光らが高歓に敗れたため高歓によって殺害された。

司馬昱

320年-372年。字は道万。東晋の第8代皇帝。簡文帝。司馬睿の末子。司馬奕を廃した桓温に擁立されて即位されたためその実は傀儡であった。即位の翌年には病に伏せり「諸葛亮、王導の如くせよ」と桓温へ遺言した。在位は1年に満たない。

page /opt/build/repo/content/dynasties/398_南燕/retsuden/慕容法.md