王導
publish: 2021-04-25, update: 2026-04-19
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276年-339年。字は茂弘。王覧の孫、王裁の子。琅邪王氏。利害調整に長け、寛大な政治を旨として人心をまとめたため、東晋の黎明を作った。王敦の乱や蘇峻の乱など度々政敵から攻撃を受けたが、失脚することなく執政を全うした。病没。
関連
鄧羌
生没年不詳。安定郡の人。前秦に仕官して苻生の治世に将軍となった。姚襄を敗死せしめ、張蚝、劉衛辰を捕縛した知勇兼備の将で、苻堅に近侍して万人の敵と評された。清廉で法整備に明るく御史中丞として綱紀粛正に貢献したほか、その剛直な性により苻生や王猛へも諫言した。
魚豢
生没年不詳。雍州京兆郡の人。魏の郎中となるが、そのほかの事跡は不明。私撰である『魏略』、および『典略』を著した。著書のほとんどは唐代後期に散逸し、現存ずるものはごく一部であるが、正史『三国志』を始め、他の史書の引用、転載として継承されたと考えられる。倭国に関する最古の記述と目される。
賈復
?-55年。字は君文。南陽郡冠軍県の人。王莽政権では県令を務めた。更始政権における漢中王・劉嘉の校尉となったが、劉嘉の勧めで河北を攻略する劉秀に仕えた。生涯無敗。天下平定後は軍縮に務めた。人となりは剛毅で節義に富むと評される。左将軍、膠東侯。