劉肇 ( りゅうちょう )

publish: 2021-12-03, update: 2026-04-19

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79年-106年。和帝。後漢の第4代皇帝。劉炟の子。10歳で即位し義母である皇太后・竇氏の輔弼を受けた。長じて竇氏の強い専横を解こうとして対立し、宦官の鄭衆を頼って竇一族を排除した。後の外戚、宦官の対立構造の初端となった。班超の西域経営により後漢最大の版図を成した。

関連

閻式

?-309年。天水郡の人。閻彧とも。李特たちが難民を連れて益州へ移るとこれに従った。益州刺史として羅尚が着任すると李特の使者として度々往来し、難民側の主張を羅尚に伝える一方で、羅尚から李特への懐柔の窓口となった。李雄の代に尚書令まで昇るが、配下の訇琦、張金苟に殺害された。

李虎

?-551年。字は文彬。李天錫の子。代郡武川鎮の人。六鎮の乱では賀抜岳に従い、賀抜岳の死後は宇文泰に従った。西魏の武将として各地に従軍し、少保、隴西郡公まで昇る。病没。孫の李淵は唐の皇帝となった。北周から唐国公が贈られ後の唐の国号となった。

釈道安

314年-385年。姓は衛。常山郡扶柳県の人。12歳で出家し仏図澄を師とした。仏図澄の死後は各地を流転し門徒を増やした。襄陽に移って檀渓寺に住む頃には盛況した。前秦の襄陽攻略で長安に連行され、以後苻堅をパトロンとした。仏教の研究のほか、鳩摩羅什の招聘や東晋遠征の反対などの建言を行った。

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