楊大眼 ( ようたいがん )

publish: 2021-08-07, update: 2026-04-19

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?-518年。後仇池の王・楊難当の孫。国内の反乱や梁の国境を転戦した。飛ぶように走るなど身体に優れ、その武勇は関羽や張飛に比肩された。豪傑としての逸話は豊富に残る。文盲だったが記憶力に優れた。鍾離の戦いでは兵卒に降格となったが、後に復職した。

関連

劉肇

79年-106年。和帝。後漢の第4代皇帝。劉炟の子。10歳で即位し義母である皇太后・竇氏の輔弼を受けた。長じて竇氏の強い専横を解こうとして対立し、宦官の鄭衆を頼って竇一族を排除した。後の外戚、宦官の対立構造の初端となった。班超の西域経営により後漢最大の版図を成した。

蕭荘

548年-578年。梁の第8代皇帝。永嘉王。蕭繹の子蕭方等の子。人質として北斉に送られたが、前代の蕭方智が陳霸先に禅譲したとき、北斉の支援を受けて帰還、梁の再興を図る王琳により皇帝に擁立された。陳、北周と交戦するが王琳の敗死により北斉へ亡命した。北斉の滅亡後に病死。

顔之推

531年-591年。字は介。顔協の子。学識と文才に長じて蕭繹に仕えた。侯景の乱とその後の混乱により、梁、西魏、北斉、北周、隋と5つの王朝を生き延びた。子孫に対する家訓として『顔氏家訓』を著した。顔真卿は来孫にあたる。

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