王梁
publish: 2021-08-16, update: 2026-04-19
?-38年。字は君厳。漁陽郡要陽県の人。彭寵から狐奴県県令代行とされた。河北を攻略する劉秀に従い、野王県県令を務めて洛陽方面を守備した。劉秀の即位時に大司空に抜擢され、中郎将、執金吾を歴任した。軍法違反や運河工事の失敗など度々蹉跌した。河南尹、阜成侯。
関連
慕容廆
269年-333年。慕容渉帰の子。慕容吐谷渾の弟。前燕の基盤を築いた。元来西晋に帰属していたが国勢を年々弱める西晋に変わって遼西・遼東の統治体制を確立させた。引き続き東晋に臣従し遼東公に封じられた。病没。鮮卑慕容部の大人としての在位は49年。
乞伏国仁
?-388年。字は烈祖。西秦の創建者。宣烈王。乞伏司繁の子。隴西鮮卑の出身。前秦から南単于に封じられた。淝水の戦いの前、叔父の乞伏歩頽が反乱を起こすと討伐に当たったが、淝水の戦いで前秦が大敗すると慰留されて状況を静観した。苻堅が姚萇により殺害されると独立した。
蕭詧
519年-562年。字は理孫。後梁の初代皇帝。宣帝。蕭統の第3子。侯景の乱で対立した蕭繹に兄蕭誉が殺されると、西魏に降って後楯を受けた。西魏が江陵の蕭繹を攻撃すると同調して蕭繹を殺害した。江陵一帯を拠点に自立し皇帝を称したが、実情は西魏の傀儡政権であった。在位7年。