王梁 ( おうりょう )

publish: 2021-08-16, update: 2026-04-19

?-38年。字は君厳。漁陽郡要陽県の人。彭寵から狐奴県県令代行とされた。河北を攻略する劉秀に従い、野王県県令を務めて洛陽方面を守備した。劉秀の即位時に大司空に抜擢され、中郎将、執金吾を歴任した。軍法違反や運河工事の失敗など度々蹉跌した。河南尹、阜成侯。

関連

裴嶷

生没年不詳。字は文冀。河東郡聞喜県の人。西晋で中書侍郎となり昌黎郡太守として遼東に赴任した。兄の死後、中央に召還されて遼西を通過したとき、慕容廆に礼遇されて以後、慕容廆に仕えた。慕容廆からは天が君を下賜したと言わしめて絶大な信任を得た。手腕は謀略、政治の広範におよび、前燕の基盤確立に貢献した。

蕭懿

?-500年。字は元達。蕭順之の子。蕭衍の兄。斉宗室の族類。各州の諸軍事、刺史を歴任した。時は蕭宝巻の乱世で、裴叔業、崔慧景の反乱を次々と鎮撫した。蕭宝巻へ忠誠的であったが、独立、謀反を勧める周囲の動きも多く、讒言を信じた蕭宝巻に死を命じられた。

石遵

?-349年。字は大祗。後趙の第5代皇帝。廃帝。石虎の九男。皇太子石宣が誅殺された折、石世と並んで立太子の候補にされた。石虎の訃報を聞いて挙兵し鄴に上って石世を廃した。兵権を握る冉閔を危険視し除こうとしたが、石鑑の密告を受けた冉閔により処刑された。在位183日。

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