李賁
publish: 2021-11-02, update: 2026-04-19
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503年-548年。万春の初代皇帝。俚族の出身。梁後期の過酷な政治によって交州が乱れると、挙兵して交州、徳州(ベトナム北部)を支配し万春を建国した。陳霸先らの強い圧迫をうけて度重なる敗北を喫した。逃亡先の屈獠洞の蛮族によって殺害された。在位4年。
関連
高開
?-352年。渤海郡蓨県の人。高瞻の子。父の高瞻は東夷校尉・崔毖に属したが、崔毖が慕容廆に敗れると憂死した。慕容儁の代に仕官し、昌黎郡太守となった。前燕の中原進出に従軍し、慕容恪に献策して不利な前燕軍を立て直した。冉閔との乱戦のなか傷を受け病没した。
司馬紹
299年-325年。字は道畿。東晋の第2代皇帝。明帝。司馬睿の第1子。司馬睿の死去により即位する。緊張関係にあった王敦に討伐の勅命を出し、王敦の病死も重なって王敦の乱を収束させた。司馬昭による簒奪の経緯を知り皇統の存続を危ぶんだという。若くして病没。在位2年。
王戎
234年-305年。字は濬沖。王雄の孫、王渾の子。琅邪王氏。魏、晋の官職を歴任した。呉討伐の一軍を率いるなど大きな功績を残す一方で、職権乱用、軍法違反、贈賄などの容疑を受けた。処世に巧みで、積極的に政治力を発揮しないことで寿命を全うした。竹林の七賢の一人に数えられる。