李賁
publish: 2021-11-02, update: 2026-04-19
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503年-548年。万春の初代皇帝。俚族の出身。梁後期の過酷な政治によって交州が乱れると、挙兵して交州、徳州(ベトナム北部)を支配し万春を建国した。陳霸先らの強い圧迫をうけて度重なる敗北を喫した。逃亡先の屈獠洞の蛮族によって殺害された。在位4年。
関連
袁術
155年-199年。字は公路。汝南郡汝陽県の人。袁逢の子。名門出身で孝廉を経て河南尹など務めた。何進の暗殺を機に宦官を誅殺するが、董卓が入朝すると禍を恐れて南陽を実効支配した。曹操らと争って拠点を寿春へ移し、皇帝に即位して国号を仲とした。失政と外患により国威は失せ、病死した。
李忠
?-43年。字は仲都。東萊郡黄県の人。もと高密国の郎。王莽政権では信都郡の尉、劉玄政権では信都郡の都尉を拝命した。信都郡太守の任光に従い劉秀を迎えた。龐萌、董憲の討伐に加わり、後に江南に移って広く開墾した。略奪を行わない厳正さと、激しい忠義を持った。豫章太守、中水侯。
魚豢
生没年不詳。雍州京兆郡の人。魏の郎中となるが、そのほかの事跡は不明。私撰である『魏略』、および『典略』を著した。著書のほとんどは唐代後期に散逸し、現存ずるものはごく一部であるが、正史『三国志』を始め、他の史書の引用、転載として継承されたと考えられる。倭国に関する最古の記述と目される。