謝道韞
publish: 2021-05-05, update: 2021-10-25
生没年不詳。字は令姜。謝奕の子。謝玄の姉。謝安の姪。王凝之の妻。才女として知られる詩人。降りしきる雪を風に舞う柳の花に例えて謝安を感嘆させた。柳絮(詠雪)の才の故事成語となる。孫恩の乱では賊を切り殺す気性の激しさを持った。夫とは不仲であった。
泰山吟
書き下し文と現代語訳は、以下から引用した。
- ダン・シモンズ. エンディミオンの覚醒. 酒井昭伸訳. 532p.
白文
峨峨東嶽高 秀極沖青天
巖中間虛宇 寂寞幽以玄
非工復非匠 雲構發自然
氣象爾何物 遂令我屡遷
逝將宅斯宇 可以盡天年
書き下し文
峩々として東嶽高く、秀極は青天を沖す。
巌中に虛宇を閒れ、寂寞として幽にして以って玄なり。
工に非ず復匠に非ず。雲構自然に発す。
気象よ爾は何物ぞ、遂に我をして屡々遷らしむ。
逝いて将に斯の宇に宅らんとす。以って天年を盡すべし。
現代語訳
東嶽・泰山は高くそびえ、美麗な頂点は青天にとどく。 その巌には人住まぬ岩屋があり、昼なおひっそりとして暗い。 ここは大工や匠が造ったものではなく、自然にできた岩屋だ。 気象よ、私を魅了して誘い、たびたび住まいを変えさせるお前は何物か。 これからはこの岩屋に住もう。 そして、天寿の尽きるまでここで暮らそう。
関連
庾冰
296年-344年。字は季堅。庾琛の子。一族と共に江南に移り、華軼の討伐に功を成した。蘇峻の乱では敗退して王舒の属官を務めたが、乱の鎮圧後は荊州に赴任する兄に代わって中央職を歴任した。幼帝の即位と後見を巡って何充と争った。庾翼の後援として江州刺史となった。病没。
庾亮
289年-340年。字は元規。庾琛の子。永嘉の乱を江南に逃れ司馬睿が赴任すると王敦の推挙で任官した。王導の融和政策とは対称に法治政策をとり、蘇峻の乱を招いた。温嶠、陶侃の支持を得て蘇峻を滅ぼした。陶侃の死後、荊州刺史として西府軍団を後継した。病没。
干宝
?-336年。字は令升。汝南郡新蔡県の人。干統の孫。干瑩の子。代々呉の官吏を務めた。王導の推薦を受けて史官となり、国史を編纂した。著作郎を経て散騎常侍まで昇る。幅広く著作を残し、『晋紀』『周易注』『春秋左氏函伝義』『周官礼注』『捜神記』がある。