干宝
publish: 2021-07-30, update: 2026-04-19
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?-336年。字は令升。汝南郡新蔡県の人。干統の孫。干瑩の子。代々呉の官吏を務めた。王導の推薦を受けて史官となり、国史を編纂した。著作郎を経て散騎常侍まで昇る。幅広く著作を残し、『晋紀』『周易注』『春秋左氏函伝義』『周官礼注』『捜神記』がある。
関連
石遵
?-349年。字は大祗。後趙の第5代皇帝。廃帝。石虎の九男。皇太子石宣が誅殺された折、石世と並んで立太子の候補にされた。石虎の訃報を聞いて挙兵し鄴に上って石世を廃した。兵権を握る冉閔を危険視し除こうとしたが、石鑑の密告を受けた冉閔により処刑された。在位183日。
梁平老
?-372年。略陽郡の人。氐族。苻堅に早くから使えて昇進し、苻生の代では特進、領御史中丞になった。苻生の暴虐のために政変に加担した。使持節、都督北藩諸軍事、鎮北大将軍として長らく北方を治めた。病没。
高湛
537年-569年。北斉の第4代皇帝。武成帝。高歓の第9子。兄高演が落馬で重体となると、帝位を譲られて即位した。贅沢を尽くして、強引な賦役を課し、和士開などの奸臣に専横を許すなど、朝廷内の腐敗を促進させた。子の高緯に帝位を譲り太上皇帝となった。病没。在位4年。