干宝 ( かんほう )

publish: 2021-07-30, update: 2026-04-19

章節

標籤

?-336年。字は令升。汝南郡新蔡県の人。干統の孫。干瑩の子。代々呉の官吏を務めた。王導の推薦を受けて史官となり、国史を編纂した。著作郎を経て散騎常侍まで昇る。幅広く著作を残し、『晋紀』『周易注』『春秋左氏函伝義』『周官礼注』『捜神記』がある。

関連

王琳

526年-573年。字は子珩。会稽郡山陰県の人。王顕嗣の子。姉妹が湘東王・蕭繹の妃となったため早くから蕭繹に信任された。王僧弁と共に侯景の乱を収めたが、江陵が西魏に陥落すると、陳霸先政権や後梁政権を認めず、蕭荘を擁立して北斉を後ろ盾とした。呉明徹の北伐に抗ったが、北斉の救援を得られず捕縛され、護送中に殺害された。

張衡

78年-139年。字は平子。南陽郡西鄂県の人。貧家に生まれたが、幼くして文学を好み賞賛された。洛陽、長安へ留学し崔瑗に師事して学問を修めた。太史令、河間国相、尚書を歴任したが、性は剛直で官職を好まなかった。天文学、数学、地学に精通したほか、賦、絵画を得意とした文人でもある。

元恪

483年-515年。北魏の第7代皇帝。宣武帝。拓跋宏の第2子。兄元恂の廃太子により立太子され、父拓跋宏の死後即位した。外戚の高肇の専横により、一族や高官の粛清が絶えなかった。在世中は梁、柔然への軍事行動が活発化した。熱心な仏教徒であった。在位16年。

/opt/build/repo/content/dynasties/317_東晋/retsuden/336_干宝.md