庾亮 ( ゆりょう )

publish: 2021-07-10, update: 2026-04-19

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289年-340年。字は元規。庾琛の子。永嘉の乱を江南に逃れ司馬睿が赴任すると王敦の推挙で任官した。王導の融和政策とは対称に法治政策をとり、蘇峻の乱を招いた。温嶠、陶侃の支持を得て蘇峻を滅ぼした。陶侃の死後、荊州刺史として西府軍団を後継した。病没。

関連

宇文導

511年-554年。字は菩薩。宇文顥の子。宇文泰の甥。北鎮の乱では宇文泰とともに葛栄の軍に加わり後に賀抜岳に従った。東魏戦線では主に留守役を務めて、後備えとして前線を支えたほか、内地の反乱にも対応して、西魏体制の恒久化に貢献した。章武郡開国公まで昇り、皇族に次いで序列が高い。

拓跋濬

440年-465年。北魏の第4代皇帝。文成帝。拓跋燾の子拓跋晃の第1子。宗愛が拓跋燾、拓跋翰、拓跋余を相次いで弑逆すると、これに対抗した陸麗、劉尼、源賀によって擁立された。内政に力を注ぎ国力の拡充を図った。仏教弾圧を廃止し雲崗石窟を造営した。在位13年。

司馬紹

299年-325年。字は道畿。東晋の第2代皇帝。明帝。司馬睿の第1子。司馬睿の死去により即位する。緊張関係にあった王敦に討伐の勅命を出し、王敦の病死も重なって王敦の乱を収束させた。司馬昭による簒奪の経緯を知り皇統の存続を危ぶんだという。若くして病没。在位2年。

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