謝道韞 ( しゃどううん )

publish: 2021-05-05, update: 2026-04-19

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生没年不詳。字は令姜。謝奕の子。謝玄の姉。謝安の姪。王凝之の妻。才女として知られる詩人。降りしきる雪を風に舞う柳の花に例えて謝安を感嘆させた。柳絮(詠雪)の才の故事成語となる。孫恩の乱では賊を切り殺す気性の激しさを持った。夫とは不仲であった。

泰山吟

書き下し文と現代語訳は、以下から引用した。

  • ダン・シモンズ. エンディミオンの覚醒. 酒井昭伸訳. 532p.

白文

峨峨東嶽高 秀極沖青天
巖中間虛宇 寂寞幽以玄
非工復非匠 雲構發自然
氣象爾何物 遂令我屡遷
逝將宅斯宇 可以盡天年

書き下し文

峩々として東嶽高く、秀極は青天を沖す。
巌中に虛宇を閒れ、寂寞として幽にして以って玄なり。
工に非ず復匠に非ず。雲構自然に発す。
気象よ爾は何物ぞ、遂に我をして屡々遷らしむ。
逝いて将に斯の宇に宅らんとす。以って天年を盡すべし。

現代語訳

東嶽・泰山は高くそびえ、美麗な頂点は青天にとどく。 その巌には人住まぬ岩屋があり、昼なおひっそりとして暗い。 ここは大工や匠が造ったものではなく、自然にできた岩屋だ。 気象よ、私を魅了して誘い、たびたび住まいを変えさせるお前は何物か。 これからはこの岩屋に住もう。 そして、天寿の尽きるまでここで暮らそう。

関連

欧陽詢

557年-641年。字は信本。長沙郡臨湘県の人。欧陽紇の子。父・欧陽紇が嶺南で反乱を起こして討伐されると、江総に匿われて養育された。陳の滅亡後は、隋、唐に仕え、王羲之以来の書法を研究した。初唐の三大家、楷書の四大家に数えられる。

仏図澄

232年-349年。姓は白。亀茲国、または天竺の出身。石勒、石虎からの信頼を得て、仏教を急速に普及させた。訳経を行わず神異僧に数えられるが、その布教は高邁な教義や神異の力ではなく、日常生活に則した生活態度を根本とした。門下からは多数の高僧を出し、仏教の源流となった。

慕輿根

?-360年。鮮卑の人。早くから慕容皝に服属し、将軍として頭角を現した。後趙戦線で活躍し前燕の中原進出に大きく貢献して太師まで昇った。慕容儁の死後は、傲慢で詭弁を弄し反意を抱いたため、慕容恪によって誅殺された。

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