王琳
publish: 2022-03-14, update: 2026-04-19
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526年-573年。字は子珩。会稽郡山陰県の人。王顕嗣の子。姉妹が湘東王・蕭繹の妃となったため早くから蕭繹に信任された。王僧弁と共に侯景の乱を収めたが、江陵が西魏に陥落すると、陳霸先政権や後梁政権を認めず、蕭荘を擁立して北斉を後ろ盾とした。呉明徹の北伐に抗ったが、北斉の救援を得られず捕縛され、護送中に殺害された。
関連
蕭琮
生没年不詳。字は温文。後梁の第3代皇帝。後主。蕭巋の第1子。父蕭巋の死後即位した。陳への侵攻を前に後梁の監視体制を強化する楊堅によって長安に呼び出され、本国は次第に換骨奪胎された。後梁が併合された後も重用され梁公に封じられるが、後に楊広の猜疑を受けて病没した。
鄧禹
2年-58年。字は仲華。南陽郡新野県の人。雲台二十八将の筆頭。長安留学中に劉秀の知遇を得た。劉秀が河北へ向かうとこれを追って鄴で合流した。大略を見極め人材輩出に異能を示した。劉秀にとってその大器は貴重なもので、関中遠征など多くの大任を授けられた。太傅、高密侯。
宋混
?-361年。字は玄一。敦煌郡の人。代々、当地の豪族で、張重華の代に驃騎将軍まで昇る。忠義に厚く、人望を集めた。張祚の誅殺を掲げて張瓘が挙兵すると、呼応して挙兵し張祚を処刑した。張重華の末子・張玄靚を推戴し輔弼した。張瓘を害意を察知して決起し、張瓘を敗走させて自害に追いやった。病没。