徐統
publish: 2021-04-26, update: 2026-04-19
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?-349年。後趙の右光禄大夫、司隷校尉、侍中を歴任した。人を見る目を持ち、若き頃の王猛や苻堅を見出したと逸話が残る。石虎の死後、張豺らが朝政を乱すと、乱には預かれぬとして自殺した。後に、末子である徐攀は苻堅に取り立てられ、琅邪郡太守となった。
関連
陶潜
365年-427年。字は淵明。陶侃の曾孫。393年以降、断続的に東晋の属官として出仕するが、官吏の職務を嫌い彭沢県の県令を最後に隠遁生活に入った。晴耕雨読の中で詩文を残し、桃源郷の語源を作った。その詩業は世俗から離れた理想を表現したものとして評価が高い。陶淵明の名で知られる。
畢義雲
生没年不詳。代々刺史職を務め、施しをもって困窮者を救ったが、元来の性は豪縦であり、羊烈や宋遊道から誹られた。倫理に欠如しており、乱れた性生活、散財、過度な懲罰は朝野の知るところとなり、あるとき突然、怪死した。蘭子暢の捜査によれば犯人はその遺留物から庶子の畢善昭とされる。
劉彧
439年-472年。字は休炳。劉宋の第6代皇帝。明帝。劉義隆の第11子。甥劉子業が暴虐であったため、殺害して皇帝に即位した。しかし世論を得られず反乱が頻発し、北魏の侵攻、財政難、賄賂の横行などに苦慮した。降伏には寛容である一方で多くの皇族を処刑した。在位6年。