許慎 ( きょしん )

publish: 2021-11-15, update: 2021-11-15

王朝

特質

学者

章節

retsuden

生没年不詳。字は叔重。汝南郡召陵県の人。汝南郡の属官を経て、孝廉をもって中央に出仕し洨県県令、太尉南閤祭酒など務めた。経書を広く学んで五経無双と称された古文経学の大家。漢字の原理を六種類に分類する六書の説明は、著書『説文解字』が最古である。

生没年は定まらない。 ただし、100年ごろに『説文解字』を起稿したことや、桓帝の治世に尹珍が許慎に師事したことがあるため、おおよそ明帝の永平年間(58年-75年)に生まれ、桓帝の治世(147年-167年)に亡くなったと考えられる。

六書 りくしょ とは、漢字を以下の六つに分類する考え方である。

象形
物の形をかたどって単純化した文字。 日、山、木、子、鳥などがある。
指事
抽象的な概念を記号化した文字。 一、ニ、三、大、下、本などがある。
会意
象形、指事を組み合わせた文字。 寒という漢字は、家、草、人、氷の象形を組み合わせたものである。
形声
意味を表す部分(義符)と、発音を表す部分(音符)を組み合わせた文字。 河、江は水の意味を表す「サンズイ」と、音符である「カ」、「コウ」を組み合わせたものである。 漢字全体の80%以上を占める。
転注
漢字は多くの場合、複数の意味を持つ。 しかし、初めから複数の意味を持っていたわけではなく、最初に持った意味から派生して別の意味が生まれた。 この意味の派生を転注という。 例えば、「書」は「書く」という意味がまず最初にあり、「書物」の意味としての「書」は転注にあたる。
仮借
既存の漢字の発音を借りて、他の意味に用いたものを仮借という。 例えば「革」は元来「皮革」の意味を持つ。 しかし「改める」という意味の言葉も同音であったため、「革」の文字を転用した。 現代では、英吉利 イギリス などの外来語の当て字も仮借に属する。

なお、分類のうち、前半の四つは漢字の成り立ちを分析したものであり、後半の二つは漢字の応用方法を分析したものである。

関連

張芝

?-192年。字は伯英。敦煌郡淵泉県の人。張奐の子。崔瑗、杜度に師事して書を学び、草書に優れて草聖のひとりに数えられる。書道の別名である「臨池」とは、書に没頭するあまり庭の池が常に真っ黒であったことに由来する。生前から評価され鍾繇とともに王羲之以前における書の大家であった。

劉祜

94年-125年。安帝。後漢の第6代皇帝。清河王・劉慶の子。父・劉慶は元々劉炟の皇太子であり、廃嫡された経緯を持つ。劉隆が夭折すると代わって即位した。皇太后・鄧綏の死後、皇后・閻氏や宦官の助力を得て鄧一族を追い落としたが、側近の利己主義を統制できず朝廷を衰微させた。

臧宮

?-58年。字は君翁。潁川郡郟県の人。県の亭長を務めたが食客を率いて下江軍に入った。劉秀に従って各地を転戦した。公孫述の討伐では岑彭が凶刃に倒れるなど苦戦を強いられたが、電撃戦をもって綿竹、涪城など州内の各地を落した。城門校尉、朗陵侯。
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