臧宮 ( ぞうきゅう )

publish: 2021-08-15, update: 2026-04-19

?-58年。字は君翁。潁川郡郟県の人。県の亭長を務めたが食客を率いて下江軍に入った。劉秀に従って各地を転戦した。公孫述の討伐では岑彭が凶刃に倒れるなど苦戦を強いられたが、電撃戦をもって綿竹、涪城など州内の各地を落した。城門校尉、朗陵侯。

関連

崔琰

163年-216年。字は季珪。冀州清河郡東武城県の人。崔密の子。始め袁紹に仕えたが袁紹が死ぬと袁譚、袁尚のいずれにも出仕せず曹操の招聘に応じた。曹操の魏公封爵とともに尚書となり後に中尉まで昇った。魏王昇爵を賛美する上奏を批判したとして丁儀に讒言され処刑された。直言の士。

王羲之

303年-361年。字は逸少。王曠の子。王導、王敦の従兄弟甥。人格と才覚を評価されて度々要職へ任官されたが、その度に辞退し地方官への任官を望んだ。後に会稽郡に移住し悠々自適と精進の中から楷書・行書・草書の各書を確立させた。書の芸術性を見出したとされ書聖と称される。

諸葛玄

?-197年。琅邪郡陽都県の人。諸葛亮の叔父。兄・諸葛珪が急死したため一族の家長を務めた。承制によって豫章太守となるが、朝廷から正式に豫章太守に任命された朱皓と争った。荊州に逃れてまもなく病没したとも、朱皓を支援する劉繇、笮融と敵対して敗死したともあり定かではない。

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