臧宮 ( ぞうきゅう )

publish: 2021-08-15, update: 2026-04-19

?-58年。字は君翁。潁川郡郟県の人。県の亭長を務めたが食客を率いて下江軍に入った。劉秀に従って各地を転戦した。公孫述の討伐では岑彭が凶刃に倒れるなど苦戦を強いられたが、電撃戦をもって綿竹、涪城など州内の各地を落した。城門校尉、朗陵侯。

関連

宋混

?-361年。字は玄一。敦煌郡の人。代々、当地の豪族で、張重華の代に驃騎将軍まで昇る。忠義に厚く、人望を集めた。張祚の誅殺を掲げて張瓘が挙兵すると、呼応して挙兵し張祚を処刑した。張重華の末子・張玄靚を推戴し輔弼した。張瓘を害意を察知して決起し、張瓘を敗走させて自害に追いやった。病没。

高儼

558年-571年。字は仁威。琅邪王。高湛の子。高緯の弟。若くして聡明、剛毅であり、顕職を兼任して強力な権限を持った。専横する和士開を弾劾し処刑せしめたが、軍を動員して高緯に従わなかったため鄴に幽閉された。属官らは捕縛、処刑され、その影響力を恐れた高緯に殺害された。

石虎

295年-349年。字は季龍。後趙の第3代皇帝。武帝。石勒の甥。暴虐な性格であり石勒が戒めても改まらなかった。石勒の死後、石弘を廃して皇帝に即位した。造反が絶えなかったが、統率力に優れてその都度鎮めた。東晋、前燕と抗争を続け後趙の最盛を築く一方で、過大な支出により経済的な疲弊をもたらした。在位16年。

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