閻顕
publish: 2021-12-20, update: 2026-04-19
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?-125年。河南郡滎陽県の人。閻暢の子。妹を安帝・劉祜の皇后とし、鄧氏一族の没落後は、兄弟揃って重用された。劉祜の死後、劉懿を擁立し外戚としての地位を固めるかに思われたが、劉懿が僅か数百日で没したため叶わず、孫程らの政変が起きると投獄された。順帝・劉保が即位すると処刑された。
関連
張賓
?-322年。字は孟孫。趙郡中丘県の人。漢人。張瑶の子。張宝とも。初め西晋に仕官したが望みを得ず辞職した。石勒が中原に進出すると自ら出仕し、早くから側近としての信任を得た。王弥暗殺の計画をはじめ、多くの遠謀を持って石勒の絶大な待遇を得てなお、処世に誤りが無かった。病没。
拓跋濬
440年-465年。北魏の第4代皇帝。文成帝。拓跋燾の子拓跋晃の第1子。宗愛が拓跋燾、拓跋翰、拓跋余を相次いで弑逆すると、これに対抗した陸麗、劉尼、源賀によって擁立された。内政に力を注ぎ国力の拡充を図った。仏教弾圧を廃止し雲崗石窟を造営した。在位13年。
慕容農
?-398年。後燕の遼西王。慕容垂の子。前秦への亡命、前秦からの独立では常に父に従った。河北辺縁を攻略し前燕の旧都・龍城に駐屯し統治した。各地の平定に貢献したが、参合陂の戦いの敗北後は施政も乱れた。慕容垂の死後、一族が散り散りになる中で慕容宝を支えたが、段速骨の反乱に降伏、暗殺された。