于謹 ( うきん )

publish: 2021-05-17, update: 2026-04-19

493年-568年。字は思敬。小名は巨弥。河南郡洛陽県の人。于提の子。六鎮の乱では元纂、元淵の配下として軍事に預かった。爾朱天光の下で賀抜岳、宇文泰の信頼を得た。北周成立時は宇文護の政権掌握に加担した。病没。孫氏の兵書を好んだ。元天穆に王佐の材と評された。

関連

麻秋

?-350年。胡人。後趙の武人で特に石虎に重用された。苻洪の反乱や、段遼ら鮮卑の侵攻、前燕、前涼の圧力に対して歴戦した。石虎の死後は冉閔に従い、王朗を攻撃して逃走せしめた。自立した苻洪に敗れて降伏するも、その勢力を奪わんとして苻洪を毒殺した。苻健によって処刑された。

苟晞

?-311年。字は道将。貧しい家の生まれだったが、東海王・司馬越に招聘されて、陽平郡太守まで昇進した。八王の乱では、主に司馬越に従い、公師藩、劉喬、汲桑らを討伐し、威光を高めた。青州刺史として曹嶷らと争った。後に司馬越と対立し、司馬越の死後、石勒によって滅ぼされた。有能であったが過酷でもあった。

蕭琮

生没年不詳。字は温文。後梁の第3代皇帝。後主。蕭巋の第1子。父蕭巋の死後即位した。陳への侵攻を前に後梁の監視体制を強化する楊堅によって長安に呼び出され、本国は次第に換骨奪胎された。後梁が併合された後も重用され梁公に封じられるが、後に楊広の猜疑を受けて病没した。

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