耿純
publish: 2021-08-15, update: 2026-04-19
?-37年。字は伯山。鉅鹿郡宋子県の人。耿艾の子。真定王劉楊の外戚、甥にあたる。更始政権ではその出自を買われ鉅鹿へ赴任したが、王郎の挙兵で河北が乱れると劉秀に恭順した。一族の屋敷を焼いて忠誠を示し、後に反乱を企てた劉楊を謀殺した。劉秀の皇帝即位を強く薦めた。東郡太守、東光侯。
関連
崔季舒
?-573年。字は叔正。博陵郡安平県の人。崔瑜之の子。若くして父を失うも学問に頭角を現し、高琛の属官を経て高歓に重用された。元善見の側近となり「我が乳母」と評されるほど信任される一方で、高澄からも厚く信任され大きな発言力を持った。権力闘争著しい朝廷にあって韓鳳の讒言により殺害された。
苻健
317年-355年。字は建業。前秦の初代皇帝。景明帝。苻洪の三男。後趙に従ったが石虎の死後、後趙が乱れると長安を攻略し自立した。始め東晋に従属するもまもなく皇帝に即位した。桓温の北伐を撃退し関中の統治を確立した。病のため死去。在位4年。
劉志
132年-168年。桓帝。後漢の第11代皇帝。蠡吾侯・劉翼の子。梁冀に擁立され、長らく梁冀の傀儡も同然の扱いを受けた。長じて梁冀誅殺を目論み、宦官の単超の助力を得て梁冀を自殺に追い込んだ。一方、宦官への権力集中が進み党錮の禁なる官僚への弾圧が始まり、対宦官の権力闘争が激化した。