庾翼
publish: 2021-07-10, update: 2026-04-19
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305年-345年。字は稚恭。潁川郡鄢陵県の人。庾琛の子。庾氏の末弟で幼少に一族と共に江南へ逃れた。蘇峻の乱では庾亮配下で善戦したが温嶠のもとへ敗走した。陶侃の属官を経て諸郡の太守を務め、庾亮の死後は荊州刺史として西府軍団を統括した。病没。書家としても高名。
関連
陳泰
?-260年。字は玄伯。陳羣の子。母は荀彧の娘。豫州潁川郡許昌県の人。魏の侍中、光禄大夫など中央職を歴任する一方で、優れた統率力を発揮して各州諸軍事の都督として蜀呉の侵略を度々鎮めた。司馬昭の信任も厚かったが、甘露の変において司馬昭と賈充を痛烈に批判し間もなく没した。穆侯と諡された。
韓范
?-410年。慕容徳に従った南燕創業の臣。姚興と共に前秦の太子中舎人を務めたことが、後に後秦との和親に繋がった。劉裕が北伐したとき後秦に赴くも、援軍を得られないと知って南燕の天命を悟り東晋に降った。劉裕からは信任され南燕の旧領を委任されたが、劉穆之に謀反を告発されて処刑された。
司馬徳宗
382年-419年。字は徳宗。東晋の第10代皇帝。安帝。司馬曜の第1子。父司馬曜の死後即位する。重度の知的障害者であったとされる。孫恩の乱や桓玄の乱が起こり、桓玄には一時帝位を奪われるが劉裕の助力で復位した。のち劉裕に殺害された。在位22年。