張衡 ( ちょうこう )

publish: 2022-02-20, update: 2022-02-20

王朝

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retsuden

78年-139年。字は平子。南陽郡西鄂県の人。貧家に生まれたが、幼くして文学を好み賞賛された。洛陽、長安へ留学し崔瑗に師事して学問を修めた。太史令、河間国相、尚書を歴任したが、性は剛直で官職を好まなかった。天文学、数学、地学に精通したほか、賦、絵画を得意とした文人でもある。

レオナルド・ダ・ヴィンチを彷彿とさせる多芸の天才である。 数学では円周率 3.16 を近似したほか、月明かりが太陽の反射光であることを理解し、月の直径を求めて1年を365日と4分の1と導出した。 世界初とされる水力の渾天儀や、水時計、地動儀なる地震感知器を発明し、現代でもその科学的偉業が評価される。

文人としても高名で、『文選』に著作が残り、画家としては後漢の六大画家(趙岐、劉褒、蔡邕、張衡、劉旦、楊魯)の一人に数えられる。

関連

朱祜

?-48年。字は仲先。南陽郡宛県の人。母方の実家を復陽の劉氏とし、劉秀、劉縯と親交を結んだ。劉秀配下の最古参。長安留学中は劉秀と共に薬を売って学費とした話が残る。儒学に詳しくその性格は質朴で正直だった。輝かしい武功こそ欠けるが、その人格を劉秀に愛された。建義大将軍、鬲侯。

劉楨

?-217年。字は公幹。東平郡寧陽県の人。劉梁の孫。曹操の辟召に応じて丞相掾属、平原侯庶子、五官将文学を務めた。曹丕、曹植と親交したが、曹丕の夫人・甄氏を平視した不敬で朝歌県県令に左遷された。誠実で才能があるが自制や遠慮に乏しいと王昶に評された。病没。著作は『詩品』に残る。

岑彭

?-35年。字は君然。南陽郡棘陽県の人。王莽政権下で棘陽県令を務め、南陽太守の甄阜と共に劉玄、劉縯と戦った。降伏すると義士と評され劉縯に従った。劉縯の死後は朱鮪の属官を経て潁川太守となった。劉秀の攻略に降り朱鮪を説いた。蜀攻略では水軍を率いたが、公孫述の刺客に殺害された。征南大将軍、舞陽侯。
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