劉楨 ( りゅうてい )

publish: 2021-08-11, update: 2026-04-19

?-217年。字は公幹。東平郡寧陽県の人。劉梁の孫。曹操の辟召に応じて丞相掾属、平原侯庶子、五官将文学を務めた。曹丕、曹植と親交したが、曹丕の夫人・甄氏を平視した不敬で朝歌県県令に左遷された。誠実で才能があるが自制や遠慮に乏しいと王昶に評された。病没。著作は『詩品』に残る。

平原侯庶子の庶子は妾の子の意味ではなく役職のこと。平原侯は当時の曹植の爵位で庶子はその下に設置された。同様に五官将文学は、曹丕が務めた五官中郎将の内部に設置された文学という役職を意味する。

関連

司馬熾

284年-313年。字は豊度。西晋の第3代皇帝。懐帝。司馬炎の第25子。司馬衷の死後、即位した。全国の反乱に応対するが、西晋の衰退を止めることは出来なかった。司馬越が洛陽を空にして出鎮したまま病死すると、前趙の攻撃により洛陽は陥落した。平陽に拉致されたのち処刑された。

拓跋余

?-452年。北魏の南安隠王。拓跋燾の第6子。拓跋燾が宗愛に殺害されると宗愛に擁立されて即位した。宗愛の傀儡であり、まもなく宗愛と対立し宗愛に殺害された。皇帝として認められておらず後継の拓跋濬からは王として葬られた。在位7か月。

蕭道成

427年-482年。字は紹伯。蕭斉の初代皇帝。高帝。蕭承之の子。寒門の出身。劉彧の代から勢力を強め、劉昱の代には各地の反乱を鎮圧して独裁を確立した。危惧した劉昱に誅殺を計画されるが先手を打って劉昱を殺害、沈攸之、袁粲ら反対勢力を滅ぼして、皇帝に即位した。在位3年。

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