朱祜 ( しゅこ )

publish: 2021-08-12, update: 2026-04-19

?-48年。字は仲先。南陽郡宛県の人。母方の実家を復陽の劉氏とし、劉秀、劉縯と親交を結んだ。劉秀配下の最古参。長安留学中は劉秀と共に薬を売って学費とした話が残る。儒学に詳しくその性格は質朴で正直だった。輝かしい武功こそ欠けるが、その人格を劉秀に愛された。建義大将軍、鬲侯。

関連

司馬穎

279年-306年。字は章度。成都王。司馬炎の第16子。八王の一人。三王起義の一人として司馬倫を討伐した。後に司馬冏、司馬乂、司馬越と立て続けに対立した。司馬越に敗れて司馬虓に幽閉されていたが、復権を恐れられて処刑された。配下の劉淵は救援を名目に匈奴を独立せしめ、後の前趙を構成した。

陳琳

?-217年。字は孔璋。広陵郡射陽県の人。何進の主簿を務めた。何進が各地の将軍を召集したとき反対した。何進の死後は冀州に逃れて袁紹に仕えた。官渡の戦いを前にして曹操を中傷する檄文を書いた。後に檄文は蕭統が編纂した『文選』に名文として収められた。病没。

拓跋賀傉

?-325年。代の第5代王。拓跋猗㐌の子。拓跋鬱律の死後即位するが、幼年であったため母の惟氏が摂政を行った。後趙とは修好路線をとった。親政を始めると諸族を統率できず、本拠を盛楽から東木根山へ移した。間もなく死去。在位4年。

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