張衡 ( ちょうこう )

publish: 2022-02-20, update: 2026-04-19

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78年-139年。字は平子。南陽郡西鄂県の人。貧家に生まれたが、幼くして文学を好み賞賛された。洛陽、長安へ留学し崔瑗に師事して学問を修めた。太史令、河間国相、尚書を歴任したが、性は剛直で官職を好まなかった。天文学、数学、地学に精通したほか、賦、絵画を得意とした文人でもある。

レオナルド・ダ・ヴィンチを彷彿とさせる多芸の天才である。 数学では円周率 3.16 を近似したほか、月明かりが太陽の反射光であることを理解し、月の直径を求めて1年を365日と4分の1と導出した。 世界初とされる水力の渾天儀や、水時計、地動儀なる地震感知器を発明し、現代でもその科学的偉業が評価される。

文人としても高名で、『文選』に著作が残り、画家としては後漢の六大画家(趙岐、劉褒、蔡邕、張衡、劉旦、楊魯)の一人に数えられる。

関連

何進

?-189年。字は遂高。南陽郡宛県の人。何真の子。屠殺業を営む家に生まれたが、妹が後宮に入ったため、潁川太守、侍中、河南尹など歴任し大将軍まで昇った。黄巾の乱を鎮圧したが、後継争いから宦官と激しく対立し各地の軍閥を召集して後の混乱を招いた。参内したところを張譲によって殺害された。

釈道安

314年-385年。姓は衛。常山郡扶柳県の人。12歳で出家し仏図澄を師とした。仏図澄の死後は各地を流転し門徒を増やした。襄陽に移って檀渓寺に住む頃には盛況した。前秦の襄陽攻略で長安に連行され、以後苻堅をパトロンとした。仏教の研究のほか、鳩摩羅什の招聘や東晋遠征の反対などの建言を行った。

呉明徹

512年-578年。字は通昭。呉樹の子。梁に仕えて各武官職、刺史を歴任した。侯景の乱では陳霸先の信用を得て、陳の建国後さらに累進した。北伐を行い淮南を回復するが、三度に渡る呂梁の戦いの結果、北周に敗れて捕縛され、長安へ連行された。長安にて病没。

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