劉秀
publish: 2021-12-03, update: 2026-04-19
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前5年-57年。光武帝。後漢の初代皇帝。字は文叔。劉欽の子。前漢の長沙王・劉発の末裔。王莽の失政で各地で反乱が頻発すると、兄・劉演と共に南陽から挙兵した。河北を平定して更始帝・劉玄から自立し、諸勢力を討伐して漢王朝を復興させた。歴代の中華王朝きっての名君の一人。
関連
司馬顒
?-306年。字は文載。河間王。司馬孚の孫。司馬瓌の子。八王の一人。三王起義の一人として司馬倫を討伐した。司馬乂殺害後は、司馬穎を皇太弟に推して、長安に駐屯し続けた。司馬穎に引きずられるように司馬越と対立した。長安陥落後は司馬越から洛陽に召喚されるが、道中、司馬模に暗殺された。
徐統
?-349年。後趙の右光禄大夫、司隷校尉、侍中を歴任した。人を見る目を持ち、若き頃の王猛や苻堅を見出したと逸話が残る。石虎の死後、張豺らが朝政を乱すと、乱には預かれぬとして自殺した。後に、末子である徐攀は苻堅に取り立てられ、琅邪郡太守となった。
慕容暐
350年-384年。字は景茂。前燕の第3代君主。幽帝。慕容儁の三男。河南へ進出し東晋領の洛陽を得るも慕容恪の死後は国威が低下する。洛陽の領有問題を起点に前秦と敵対し大敗のすえ鄴は陥落、降伏した。在位11年。淝水の戦い以後没落する苻堅の暗殺を試みるが失敗し殺害された。